2012.10.28礼拝メッセージ要旨(マタイ9:1~8)   

イエス様一行が、向こう岸からご自分の町に帰ってくると、中風の人が床のままイエス様の前に運ばれて来ました。そこで起こった出来事から、二つポイントをあげて学びましょう。第一のポイントは「イエスは彼らの信仰を見て」です。マルコの福音書では、この中風の人は四人にかつがれて来たものの、群衆で家の中に入れず、そのため屋根に穴を開けて床のまま吊り降ろされたと記されています。他人の家の屋根を壊すことは別にして、そこまでする信仰に対して、イエス様がよしとされました。イエス様に対する信仰が、そのような行動となって表われました。ヤコブ1:22には「信仰は行ないによって全うされる」とあります。第二のポイントは、「罪を赦す権威」です。全能の神の前における「罪の赦し」という概念は分かりにくいかと思いますが、ちょうど人と人との関係と同じように、人と神との和解の関係が成立したとき、それを罪の赦しと言えるかと思います。イエス様が、その中風の人に「あなたの罪は赦された」と言われたとき、側にいた律法学者が「罪を赦すことのできるのは神以外にない。」と心で思っていました。それを読み取られたイエス様は、中風の人を癒し、立ち上がらせて、ご自分が罪を赦す権威をもっておられることを明らかにされました。イエス様は二千年前、十字架の上で「父よ彼らをお赦しください。(ルカ23:34)」と、ご自分を十字架につけたローマ兵のためにも祈られました。今日、私たちもイエス様によって、神と和解し、罪の赦しを得、あの中風の人をイエス様のもとへ運んだ四人の友のように、友人、知人、家族をイエス様のところへ、お連れしましょう。

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