2012.9.26祈祷会メッセージ要旨(詩篇95篇)

前半の1~6節は、当教会の礼拝の招詞で時々読まれます。前半は神への賛美、後半は一転して警告としての内容です。出エジプトしたイスラエル人は、あの紅海において、不思議な神の奇跡を見ました。それが出エジプト記14章に記されていて、さらに、16章ではマナとうずらが空から降ってきます。ところが同じ出エジプト記17章に入ると、「水がない」と言って、イスラエル人はつぶやくのです。神様の立場から見ると、紅海の奇跡、そして、マナとうずら、これだけの奇跡を見ていながら、少しだけ渇くと、「水がない」と言ってつぶやくのです。これでは神様もあきれてしまいます。詩篇95:7~8で「きょう、もし御声を聞くなら~心をかたくなにしてはならない。」と言っています。不信仰にならないで、神を信じ、神のみことばに聞き従いなさい、ということです。

さて、この詩篇95篇はヘブル3章にも引用されています。やはり、不信仰になって、神のことばに対して心をかたくなにしてはならない、ということが記されています。9月23日の礼拝では中澤啓介師が、ヘブル2章から「人間とは何者なのか」というメッセージをしてくださり、午後の聖書学校では「見落とされていた福音の中心」という題で語られ、最終的にその答えは第一ペテロ2:9及び黙示録1:6にあるということでした。つまり、イエス様を信じた私たちは、この地上において使命が与えられていて、神の御子イエス様と一つになって王なる祭司として仕えるということです。そのためにも、不信仰に陥ることなく、確信と希望を持って、忠実に主に仕えてまいりましょう。最後に、ヘブル3:6を読みましょう。「しかし、キリストは神の御子として神の家を忠実に治められるのです。もし私たちが、確信と、希望による誇りとを、終わりまでしっかりと持ち続けるならば、私たちが神の家なのです。」

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