2012.11.18礼拝メッセージ要旨(マタイ9:27~38)   

「ダビデの子よ。私たちをあわれんでください。」と叫び求める二人の盲人に対してイエス様は「わたしにそんなことができると信じるのか。」と問われ、盲人たちが「そうです。主よ。」と答えて、ようやくイエス様が「あなたがたの信仰のとおりになれ。」と言われて、二人の目をあけておやりになりました。このとき、イエス様が「そんなことができるのか」と問われたのは、彼らがイエス様を単なるダビデ王の再来と見ているのか、それとも永遠の救い主と信じるのか、そのことを明らかにしたということでしょう。私たちも「イエス様にはどんなこともできる」という信仰を持ち、イエス様に期待して過ごしましょう。次に、口のきけない人がイエス様によって、ものを言うようになると、それを見たパリサイ人たちは「悪霊の力による」と言いました。彼らは正に聖霊に逆らう発言をしました。今日、私たちも、主の働きに対して、こういった誤った評価を下すことがないように気をつけねばなりません。さて、当時イエス様がなさっていた主なこと三つが記されています。①会堂で教え②福音を宣べ伝え③あらゆる病気わずらいを直された、です。このことは、今日の教会の使命でもあります。特に③は、意外と大切で、例えば、人の悩みを聞く、それだけでも大きな働きです。この章の最後で、イエス様は霊的に弱り果てている群衆を見て、「収穫は多い。」と言われました。我が国日本の99%以上の人々は聖書のみことばから離れた生活をし、正に霊的には弱り果てていると言えます。しかし、だからこそ、「収穫は多い」と期待できるのではないでしょうか。当教会で始まっている聖書学校は、その収穫のための働き人を整えるためです。リバイバルに備えてまいりましょう。

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