2012.11.11礼拝メッセージ要旨(マタイ9:18~26)   

「信仰」というテーマです。12年間長血を患った女性がイエス様の着物のふさに触りました。このふさは、民数記15:38~39によると、主の命令(みことば)を守るということを、それを見て思い起こすために着物に着けていました。今日、私たちも、みことばが書かれた額を部屋に飾ったりして、いつもみことばが目に触れるようにしたらよいでしょう。私たち人間は強くありません。そういったみことばに自然に触れるような環境づくりも大事なのです。さて、その長血を患った女性は、イエス様のお着物に触ればきっと直ると心の内で考えていたのですが、別の福音書によると彼女は「きっと直る」と心の中で言っていたのです。「人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われる(ローマ10:10)」とある通りです。イエス様が神のもとから来られた方であり、病を癒すことのできる方であるという、そういう信仰を持っていたのです。もちろんイエス様の名で祈れば何でもきかれるわけではありません。しかし、神のみこころにかなう願いをすれば、必ず祈りがきかれるという信仰を持って、実際に自分で祈ったり、祈ってもらったりする、その信仰が大事なのです。さて、イエス様は、いよいよ会堂管理者の家に到着します。イエス様が「娘が死んだのではなく眠っている」と言うと、そこにいた者たちは嘲笑いました。そこでイエス様は、そういった不信仰な者たちを外に出し、娘の両親とお弟子たちだけを家の中に入らせ、死んだ娘を生き返らせました。私たちもイエス様に対して不信仰であるなら、せっかく奇跡が起きようとしているのに、それがとどめられるということがあるでしょう。主のみ働きの妨げとならないように、主が私たちの祈りにこたえてくださることを信じましょう。

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