2012.12.30礼拝メッセージ要旨(マタイ11:1~15)   

①「つまずかない者は幸い」…イエス様にバプテスマを授けたヨハネがなぜイエス様につまずいたのでしょう。獄中にいるヨハネを助けに来ないなど、イエス様がヨハネの思い通りに行動しないというのが、その理由かもしれません。でも、それはヨハネの勝手な思い込みであり、天の神のご計画に基づいた考えではありません。私たちの信仰の土台は、神ご自身であり、イエス様です。信仰の創始者であり完成者であるイエス様から目を離さない(ヘブル12:2)でいましょう。
②「最もすぐれた人ヨハネ」…イエス様につまずいたのは別にして、ヨハネほど禁欲的で高潔な人はいないでしょう。私たちもヨハネのようになれるなら、それはそれで素晴らしいことですが、ここで、間違えてはいけないのは、イエス様を信じる信仰は、人間として高くなることではなく、むしろ、低くなってイエス様に助けていただくことです。パウロも「キリストの力がわたしをおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。(第二コリント12:9)」と言っています。
③「天の御国を激しく攻める」…ノアの時代の大洪水があったとき、地には悪が満ち、もうどうにもならない状態だったのです。また、ソドムとゴモラの悪もノアの時代以上にひどく、神が介入せざるを得なかったのです。マラキ4:5~6には終末のさばきの前にエリヤを遣わすと言っています。それは、バプテスマのヨハネの道備えとイエス様の救いであり、今は、恵の時、救いの機会が与えられているのです。このとき、私たちは、神を求めるときでもあるのです。請われて求めるのではなく、自ら進んで求めることを主はどれほど喜ばれるのでしょうか。

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