●2月23日礼拝メッセージ要旨(マタイ27:45~66)

イエス様が十字架につけられ、いよいよ息を引き取られる場面の記事からポイントを四つあげて学びましょう。
①エリエリレマサバクタニ…イエス様は、息を引き取られる直前に「わが神、わが神。どうして私をお見捨てになったのですか。」と叫ばれました。なぜ神のひとり子がそのように叫んだのか。昔から神学的な議論がされているようです。一つは、詩篇22:1のみことばの成就であるという見方ができます。もう一つは、イエス様が、多くの人々の罪をその身に負われたゆえに、神に見捨てられた者になられたということです。また、それは、イエス様を信じる私たちが、罪を離れ、義のために生きるためでした。
②様々なしるし…イエス様が十字架上で息を引き取られるとき、様々なしるしが伴いました。12時から3時まで全地が暗くなりました。神殿の幕が上から下まで真っ二つに裂けました。地が揺れ動き、墓が開いて聖徒たちのからだが生き返りました。それらのしるしは、イエス様が、確かに神のひとり子であるということを裏付けるものとなりました。私たち一人一人の生涯においても、神が生きていて自分に働いてくださったという特別な経験があるのではないでしょうか。主に従って歩んでいくとき、主は、生きて働いてくださり、そこに様々なしるしも現れるものです。
③アリマタヤのヨセフ…イエス様がエルサレム入城されるとき、ロバの子が用意されていました。ベタニヤのシモンの家におられたときには、一人の女性が、埋葬の用意にと、高価な香油をイエス様に注ぎました。また、最後の晩餐のための座敷の用意もありました。そして、十字架の死後、イエス様のからだを葬る場所を、サンヘドリンの議員でもあるアリマタヤのヨセフが備えていたのです。神の国とその義とを第一にするなら、主は、その人の必要を備えてくださるのです。
④墓の番…イエス様のからだを盗んで復活したと言って民衆を惑わすかもしれないという恐れを食い止めるため、当時の世界で最強のローマ軍の兵士に墓の番をさせました。しかし、結果的に、イエス様は復活して墓を打破り、そんなことは全くの無駄な努力でした。すべてのことは神から発し、神によって成り、神に至るのです(ローマ11:36)。確かに、見える世界の影響は小さくなく、無視できません。しかし、すべてのことの背後にあって、すべてを統べ治めておられるのはイエス・キリストの父なる神様なのです。この方に信頼してまいりましょう。

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