●5月27日礼拝メッセージ要旨(ヨハネ19:1~16)

   ヨハネ19:1~16から「十字架につけろ」という題でポイントを3つあげて学びましょう。
   ①いばらの冠と紫色の着物…祭司長をはじめとするユダヤ人たちは、キリストをどうしても十字架につけたいと考えています。一方、総督ピラトはキリストの刑に関わりたくありません。そこでピラトは、キリストをムチで打ち、いばらの冠を被らせ、王の着る紫の着物を着せて「さあ、この人です。」とユダヤ人たちの前に連れ出して見せます。つまり、「これで満足してくれ。もうこれでいいだろう。」という意味です。しかし、彼らは「十字架につけろ。十字架につけろ。」と叫び、全く納得しません。ピラトの思惑通りにはいきませんでした。それにしても、ムチ打たれ、殴られ、いばらの冠を被せられたキリストの立場に立つとき、それ相当の肉体的、精神的苦痛を受けたことでしょう。第一ペテロ2:24には「そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。」とありますが、十字架につけられる前から、それは既に始まっていました。キリストが苦しみを受けられたのは、キリストを信じる私たちが、罪を離れ、義のために生きるためでした。
   ②上からの権威…ピラトはキリストを官邸の中に入れて、「あなたはどこの人ですか。」と質問します。それは、「あなたは本当に神の子なのですか。」という意味で聞いたのでしょう。それに答えないキリストに対してピラトは「私には、あなたを十字架につける権威がある」と言いますと、キリストは「もし、それが上から与えられているのでなかったら、あなたはわたしに対して何の権威もありません。」と答えられました。コロサイ1:16には「なぜなら、万物は御子にあって造られたからです。天にあるもの、地にあるもの、見えるもの、また見えないもの、王座も主権も支配も権威も、すべて御子によって造られたのです。万物は、御子によって造られ、御子のために造られたのです。」とあります。実際、ピラトはキリストに対して何の権威もなかったのです。
   ③十字架につけろ…「十字架につけろ」と叫んだユダヤ人たちの動機は何だったのでしょうか。彼らは、キリストを殺すという目的のためには、何でもしたのです。それは、結局、自分たちの既得権を守るためであったのです。ピリピ3:19~20には「彼らの最後は滅びです。彼らの神は彼らの欲望であり、彼らの栄光は彼ら自身の恥なのです。彼らの思いは地上のことだけです。けれども、私たちの国籍は天にあります。…」とあります。「この世の欲望」を神とするのではなく、全知全能の聖なる真の神を主と信じて従い、もう一つの国籍である天国の国民として、この地上で神の栄光を現わすことを求めて歩もうではありませんか

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