●8月26日礼拝メッセージ要旨(使徒の働き2:22~36)

   「ペテロの説教」という題でポイントを三つあげます。
   ①ペテロの証言…ペテロの説教は2章14節から始まっています。聖霊に満たされた弟子たちを見て「酒に酔っている」とあざける人がいましたので、ペテロは「わたしの霊をすべての人に注ぐ」と預言されているヨエル書の成就であると語ります。そして、22節から説教の本題に入ります。ペテロ自身がキリストの証人であり、力あるわざと十字架の死、そして、特に強調したのは復活です。この世において、「真実」というのは真っ直ぐに伝わりにくいものです。例えば、先日、タイでサッカーチームの少年たち13人が救出されたニュースが駆け巡りました。一般のテレビ局では、リーダーの青年が仏教の影響を受けていたので、「仏教の教えが少年たちを落ち着かせた」というような報道がされていました。それもあったかもしれませんが、クリスチャントゥデイによりますと、実は少年の中にアダル・サムオン君という14才のクリスチャンがいて、彼はスポーツも優秀、学業もオールAで学校トップ、何か国語かの言葉も話すことが出来、最初に彼らを発見したイギリス人たちが英語で会話をしたのはサムオン君だったのです。彼は政情不安なミャンマーからタイの教会に他の約20人と共に預けられていました。タイの諸教会はこのニュースを聞いて、連日、祈祷会で祈っていたのです。昔も今も、多くの人々は、惑わしの霊の妨げのゆえに真実で肝心な部分を知らされないでいることが多いのです。ペテロは、一番肝心なキリストの復活ということに力を込めました。
   ②ダビデの預言…ペテロの説教を聞いているのは皆敬虔なユダヤ人ですから、当然、彼らはダビデも知っているし、ダビデが詩篇で語っている内容も知っているでしょう。そこでペテロはダビデが詩篇16篇でキリストが復活することを預言しているということを語ります。人々の心は大きく開かれたことでしょう。
   ③神の右に上げられたイエス…ペテロの説教は最後の仕上げ、完結編に入ります。今度は詩篇110篇1節を引用して、ダビデが「主は、私の主に仰せられる。『わたしがあなたの敵をあなたの足台とするまでは、わたしの右の座に着いていよ。』」と語ったと、つまり、天の父なる神が御子イエス様に、「わたしの右の座に着いていよ」と言ったのです。天の神の右の座とは、何もせず休んでいるということではありません。むしろ、中心的に働いているのです。エペソ1:20~ 21とマタイ28:18からまとめますと、天においても地においてもいっさいの権威を持つイエス様が全能の力によって、神の右の座において働いておられる。特に今、この時もキリスト者のために、とりなしをしておられるでしょう。祈りは天の神との交わりであり、会話でもあります。今日、私たちはイエス様の名によって神に祈り求めましょう。多く祈り求めれば、それだけ天からの恵みも多くなるでしょう。祈らないことは損失です。祈れば祈るほど、イエス様は喜んで、その祈りに応答されるでしょう。

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