●10月14日礼拝メッセージ要旨(使徒の働き5:17~42)

  「いのちのことば」という題で、三つのポイントを上げます。
   ①いのちのことば…使徒たちにしるしと不思議が伴い、キリストを信じる人が増えていくと、ねたみに燃えた大祭司とその仲間たちは、使徒たちを留置場に入れました。ところが、主の使いが彼らを牢から連れ出し「宮の中に立って、人々にいのちのことばを語りなさい。」と言いました。宮というのは、元々は創造主である真の神を礼拝する場所であり、そこで創造主のもとから救い主となって来られたイエス・キリストの福音を語るということは、それこそ、主ご自身が願っておられることです。しかし、宮を管理している側の大祭司たちはどこまでもキリストを拒否したのです。今日、教会では「いのちのことば」が語られなければなりません。第一ヨハネ4:2には「人となって来たイエス・キリストを告白する霊はみな神からのものです。それによって神からの霊を知りなさい。」とあります。私たちはイエス・キリストを告白する「いのちのことば」をしっかり握り、世の光として輝く(ピリピ2:16参照)ことができますように。
   ②人から出たか、神から出たか…大祭司たちは議会を招集し、留置場に閉じ込めたはずの使徒たちに尋問しようとしたのですが、なんと留置場に使徒たちはおらず、宮で語っているのでした。使徒たちは、すぐに議会に連れだされ、「あの名によって語ってはならないと命じたのに、何ということだ。~」と言われました。するとペテロは「人に従うより神に従うべきです。」と言い、さらに、自分たちはイエス様の十字架と復活の証人である、と語ると、議員たちは怒り狂い、使徒たちを殺そうとしました。すると、そのとき、人々に尊敬されているガマリエルが立ち、「彼らを放っておくべきだ。人から出たものなら、自然に滅び、神から出ているものなら、あなたがたは神に敵対する者になる。」と、まっとうな意見を言いました。昔も今も、賢い人は、たとい真理を持っていなくても、真理に近いところまでの考えは持っているものです。ノーベル医学生理学賞の本庶佑氏は、子どもたちへのメッセージとして「教科書に書いてあることを信じるな。自分で確かめよ。」と言いました。実際に、教科書が支持する進化論は何一つ証明されていない仮説であり、また、韓国の地質学の専門家であるイ・ジェマン教授は「教科書に掲載されている地質年代通りの地層など世界中どこにも出てこない。」と、言い切っています。それはともかく、私たちも、物事の判断基準として、それが神から出たものか、人からか、という視点に立ち、神から出たものを選び取って行くことです。
   ③御名のためにはずかしめられたことを喜ぶ…結局、使徒たちはガマリエルの意見によって釈放されました。しかし、鞭打たれ、「今後、イエスの名によって語ってはならない」と言われました。今の私たちには想像できませんが、「むちで打たれる」とは、それ相当の肉体的かつ精神的苦痛があったことでしょう。それなのに、使徒たちは、御名の為にはずかしめられたことを喜んだのです。詩篇23:3には「主は、私のたましいを生き返らせ、御名のために私を義の道に導かれます。」とあります。

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