●2021年6月6日(日)礼拝メッセージ「天上のからだ」 

第一コリント15:35~58から「天上のからだ」という題でポイント3つ上げていきます。

①「天上のからだと地上のからだ」…35節で「ある人はこう言うでしょう。『死者は、どのようにしてよみがえるのか。どのようなからだで来るのか。』」と、パウロは復活を疑う人が口にしそうな言葉を取り上げています。確かに、当時にしても、今日の私たちにおいても、そういった思いが過(よぎ)ることがあっても無理ないかもしれません。しかし、パウロはそういった疑問に対して36節で「愚かな人だ」と一蹴(いっしゅう)しています。わずか数ミリの小さな種を地に蒔くと、立派な植物に成長し、花を咲かせ、実を成らせます。また、創造主である神は人のために食物を与え、昼は太陽、夜は月と星々を備えられました。正に、神にとって不可能なことは一つもありません。この地上に創造された様々なもの、それらを細かく調べれば調べるほど創造主の不思議と偉大さを覚えます。その創造主である神が我々人間のために天上のからだを用意されているのです。それを疑ったら、損になることはあっても何の得もありません。

②「第一の人と第二の人」…第一の人とは最初の人、アダムのことであり、第二の人とは最後のアダムであるイエス・キリストです。そして、アダムは「生きた者」となりましたが、キリストは「生かす御霊」となりました。「生かす御霊」は英語の聖書ではa life-giving spiritで、life-givingは「元気づける」、「生気を与える」という意味です。元々、私たちは皆、「生きた者(a living being.)」に過ぎませんでしたが、聖なる神の前に悔い改め、イエス・キリストを信じるとき、「生かす御霊(a life-giving spirit.)」を受けて、目的ある人生に変えられました。第一コリント10:31には「こういうわけで、あなたがたは、食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を現すためにしなさい。」とあります。永遠の天の御国を目指しつつ、この地上においては神の栄光となるような生き方を求めてまいりましょう。

③「世の終わりのラッパ」…四つの福音書の中で、マタイ24章、マルコ13章、ルカ21章には、世の終わり、終末の時代に何が起こるのかということが記されています。戦争、民族対立、地震、疫病、飢饉、天変地異、そして不法の人(滅びの子)の出現です。これらのことが起こりつつあるとき、終わりのラッパが鳴り響き(どの時点で終わりのラッパが鳴り響くのかは聖書で明確にされてはいません)、イエス・キリストが再臨するのです。そのとき、不死を着た人は、雲の中に一挙に引き上げられて主と出会い、その人はいつまでも主とともにいることになるのです。ですから、大事なことは、イエス・キリストを信じてバプテスマを受け、不死を着て、堅く立ち、動かされることなく、いつも主のわざに励む生活をすることです。昔、アメリカ合衆国の一時期のこと、多くの人は大西洋側に住んでいました。あるときアメリカ政府は、太平洋側のある地域に金(きん)が出るので、誰でも行って杭打ちすれば、自分の土地になると移住を促しました。多くの人が全財産を持って家族と共に幌馬車でそこに向かって行きました。その中に、ある牧師の家族がいました。この家族は、月曜日から土曜日にかけて行動し、土曜日の夕方からは馬を休ませ馬車を整備し、日曜日は家族で礼拝し、神に感謝をささげ、ゆっくりと休みました。そして月曜日になると再び目的地に向かって行ったのです。すると、その家族が一番早くその場所に到着したとのことです。私たちは、やがて世の終わりのラッパが鳴り響く時に備え、日々、神のみこころを求め、忠実に主と共に歩んでまいりましょう。

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