●2021年7月11日(日)礼拝メッセージ「キリストによる勝利の行列」 

第二コリント2:1~17からです。コリント人への手紙第一と第二の間に、パウロはコリント教会を訪問し、また別の手紙を書いているようです。その訪問も手紙も厳しいものとなり、それゆえ、この2章においては、それをフォローする内容となっていると言えます。本日もポイントを三つ上げていきます

①「罪に対する処罰と赦し」…コリント第一の手紙5:1には、コリント教会には「異邦人の中にもないほどの不品行がある」ということが記されています。このコリント第二の手紙2:5には「悲しみの元になった人」と表現されていますが、誰を指しているのか、また、その人がどんな罪を犯していたのかは明らかではありません。いずれにしろ、パウロは、その人に対して厳しい対処をしたようです。また、コリント教会全体も、その人に対して何らかの処罰を課したようです。でも、ここでパウロは、コリント教会の人々に対し、その人を赦し、その人に対する愛を確認するようにと勧めています。誰であれ、人間は毎日のように失敗し、罪を犯すものです。それなのに、他人の罪に対しては厳しく、自分には甘くなる傾向があるものです。11節には「サタンの策略」とありますが、罪を犯した人をただ責めるだけで終わるなら、その人は立ち直れないし、責め続けた人も裁かれることになり、正にサタンの策略にはまってしまいます。親がその子を思って愛情を注ぐように、私たちは、人の祝福と幸いを願い、そこに照準を置いて行動するべきでしょう。

②「キリストによる勝利の行列」…12~13節で、パウロはトロアスに行ったけれども、テトスに会うことが出来ず、心に安らぎが無かったのですが、しかし、そのあとの14節で「神はいつでもキリストによる勝利の行列に加えて下さる」と言っています。創世記16章には、アブラムとその妻サライ、女奴隷ハガルが登場します。アブラムは創世記15章で、自分の子孫が空の星のようになることを主から言われました。しかし、なかなか子どもが与えられません。そこで、妻サライが自分の女奴隷ハガルをアブラムに与え、子が生まれれば、自分がその子の母となれると思いました。ハガルがアブラムによって身ごもると、ハガルはサライを見下げるようになりました。そこでサライはアブラムにそのことを訴え、ハガルをいじめます。するとハガルはそこを逃げ出します。ハガルが荒野の泉のほとりにいると、主の使いが彼女に「あなたの女主人のもとに帰りなさい。そして彼女のもとで身を低くしなさい。」と言います。その後、ハガルはイシュマエルを生み、イシュマエルは一つの民族となります。つまり、女主人から逃げた女奴隷のハガルに対して、神は見捨てることなく、目を留め、導いておられるのです。詩篇34:5aには「彼らが主を仰ぎ見ると、彼らは輝いた。」とあります。天の神、主は、私たちが失敗して落ち込んでいるとしても、主を仰ぎ見ることにより、いつでもキリストによる勝利の行列に加えようとしておられます。

③「かぐわしいキリストの香り」…ここで言っている「香り」とは、信仰的、霊的な香りのことです。ヨハネの福音書12:1~3でラザロの姉妹であるマリヤはイエス様の御足に300gの純粋なナルドの香油を注ぎ、髪の毛で拭います。すると香油の香りが部屋いっぱいに放たれます。それを見ていたイスカリオテ・ユダは「なぜ、それを売って、貧しい人に施さなかったのか。」と責めます。しかし、キリストは、「マリヤは、わたしの葬りの日のために、それを取っておこうとしたのです。」と言われます。またマルコ14:9では「まことに、あなたがたに告げます。世界中のどこででも、福音が宣べ伝えられる所なら、この人のした事も語られて、この人の記念となるでしょう。」と言われ、そのことば通り、今日、マリヤの行為は世界中の教会で称賛されています。マリヤは実際的に香りを放ち、信仰的、霊的にもかぐわしい香りを放ったのです。マリヤは誰かに褒められようとして、それをしたのではありません。そのとき、自分が出来ること、すべきことをしたのです。

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