●2021年10月24日礼拝メッセージ要旨 「あなたがたを築き上げるため」

宗教改革者マルチン・ルターはヤコブ書を「藁の書簡」と言って、こき下ろしました。なぜなら、ルターは「信仰によって義とされる」ということを強く提唱したからです。その点、ヤコブ書は「行ないのない信仰は空しい」と言っています。もちろん、それはルターの思い違いでした。さて、本日は、第二コリント12:11~21からです。この箇所には有名なみことばや輝く教えはないように見えます。しかし、ルターと同じように、この聖書箇所を藁と言って見下すべきではありません。この箇所から何を学ぶべきでしょうか。本日はポイント2つ上げていきます。 

①「私は愚か者になりました(11節)」…パウロは、第二コリント10:17で「誇る者は、主を誇りなさい」と言っています。またガラテヤ6:14では「主イエス・キリストの十字架以外に誇るものが決してあってはならない。」と言いながらも、愚か者となって色々と誇っています。なぜパウロは、そうまでして誇ったのでしょうか。それは、コリント教会の人々と同じ目線に立つためでしょう。例えば、親が子に算数を教えるとしましょう。簡単な計算が分からない子供に対して、親は子の立場に立って教えるでしょう。もし、「こんなことが分からないのか」と言って罵倒すれば、その子は一生、計算が出来ない人になるかもしれません。当時、パウロは、ニセ使徒の悪影響を受けていたコリント教会の人々を導くため、彼らを見捨てないで、深い同情心のゆえに、自分が愚か者となって、あえて、そうしたのです。コロサイ3:12には「それゆえ、神に選ばれた者、聖なる、愛されている者として、あなたがたは深い同情心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。」とあります。私たちも、自分が関わる人々に対し、深い同情心と謙遜と寛容などをもって応じていきたいと思います。

②「あなたがたを築き上げるため(19節)」 …どんなことについても言えますが、それがどこに行き着くのかという目標は大事です。途中がどんなに素晴らしく見えても、最後に地獄に行ったら悲劇です。この世における情報の洪水には注意しましょう。悪魔はうわべだけ、本当の神様の真似事はできますが、その行き着く先は滅びです。イスラエル人をエジプトの奴隷から解放するために、モーセがアロンと共にエジプトのパロ王の前に出たとき、まず、アロンの杖を投げさせ、それが蛇になりました。エジプトの呪法師たちも同じように杖を蛇に変えましたが、アロンの杖は呪法師たちの杖を飲み込みました。この世の教えは一見、魅力的に見えますが、結局のところ本当の救いはありません。今日、イエス・キリストの十字架と復活、それによって与えられる救い以外に救いはありません。その救いを初めから語っている聖書のみことばにしっかり立ち続けましょう。みことばこそ、私たちを霊的に築き上げ、永遠の祝福に導いてくれるのです。

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