●2022年1月9日(日)礼拝メッセージ要旨「キリスト者の自由」 

本日はガラテヤ5:1~15から「キリスト者の自由」という題でポイント4つ上げていきます。

①自由…筆者は、1976年4月26日夕方、イエス・キリストを信じました。そのとき以来、死という最大の問題の解決を得、虚無感からも解放され、喜びと平安が心に留まっています。1節には「キリストは、自由を得させるために、私たちを解放してくださいました。」と書いてあります。正にそのとおり、解放され、自由の身となっています。ヨハネ8:32には「そして、あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。」とあります。イエス・キリストは「真理」そのものの方です。イエス様を信じることによって霊的に自由となるのです。

②信仰による義…2~4節では、割礼と律法について言及しています。3節では「割礼を受けるすべての人に、私は再びあかしします。その人は律法の全体を行う義務があります。」とあります。結局、律法を行なうことによって、義と認められることはありません。誰でも、イエス・キリストを信じる信仰により、御霊によって義とされるのです。ヘブル11:1には「信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。」とあります。今私たちは、イエス様も、天国も、永遠のいのちも目で見ることはできません。しかし、聖書のみことばによって、それらを信じ、信仰による義をいただいています。

③十字架と迫害…世の終わり、終末の時が近づいているのは間違いありません。ヨエル2:28には「その後、わたしは、わたしの霊をすべての人に注ぐ。あなたがたの息子や娘は預言し、年寄りは夢を見、若い男は幻を見る。」とあります。これから、日本においても大きなリバイバルを見ることができるかと思います。しかし、マタイ24:9には「そのとき、人々は、あなたがたを苦しいめに会わせ、殺します。また、わたしの名のために、あなたがたはすべての国の人々に憎まれます。」とあります。クリスチャンが迫害される時も来るでしょう。パウロは、このガラテヤ5:11節で「自分は十字架を宣べ伝えているので迫害されている」という内容のことを言っています。今日も、人々は「十字架のことば」によってつまずき、迫害の原因となるのです。しかし、第二テモテ3:12には「確かに、キリスト・イエスにあって敬虔に生きようと願う者はみな、迫害を受けます。」とあります。この世と妥協し、迫害を回避しようとするような信仰生活は神に喜ばれることはできません。

④愛によって互いに仕え合う…宗教改革者マルチン・ルターは、1520年、「キリスト者の自由」という著を発表しました。その著において中心的に語っていることは「キリスト者は、あらゆるもの、最も自由な主であって、何ものにも隷属していない。キリスト者は、あらゆるもの、最も義務を負うている僕であって、すべてのものに隷属している。」ということです。それは正に、パウロが13節で「兄弟たち。あなたがたは、自由を与えられるために召されたのです。ただ、その自由を肉の働く機会としないで、愛をもって互いに仕えなさい。」と語ったことと一致しています。クリスチャン同士はもちろん、私たちは、自分が関わる全ての人々に対して、キリストの愛によって仕えていきたい(実践するには簡単ではありませんが)と思います。

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