●2022年6月12日(日)礼拝メッセージ要旨

本日はピリピ4:1~9からです。「いつも主にあって喜びなさい」という題でポイントを3つ上げて行きます。

1.いつも主にあって喜びなさい…何年か前、アメリカ人の原作で「少女ポリアンナ」というアニメーションが日本のテレビで放映されました。ポリアンナの父親は牧師で、亡くなる前に娘のポリアンナに対して「どんなに苦しいときでも、良いことを探しなさい」、つまり「良かった探し」を遺言として伝えていたのです。たった一人になったポリアンナでしたが、父の教えを実行し、厳しい環境の中でも「良かった探し」を実行して明るく過ごし、周囲に対し良い感化を及ぼして行くというストーリーです。さて、4節には「主にあって」とあります。クリスチャンにはキリストによる救いがあり、神が共にいてくれる。それだけでも「良かった探し」以上です。しかも、それに加えて、マイナスさえもプラスになるという約束があります。ローマ8:28には「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」という約束です。

2.何も思い煩わないで…思い煩わない人はいないでしょう。思い煩うのが人間です。でも、ここで、「何も思い煩わないで」と教えています。確かに私たち人間は思い煩ってしまうものですが、その思い煩いの中に留まり続けるべきではありません。そこから脱出の道が備えられているからです。それは「祈り」です。ピリピ4:6~7には「何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。」とあり、本当にこのとおりになります。思い煩いの原因となる個々の問題はそれぞれ異なるでしょうが、平安が与えられるまで祈れば良いのです。このピリピ4:6~7のみことばは力になります。暗唱することをお勧めします。

3.心を留めるべきこと…私たちは、真実なこと、正しいこと、清いこと、愛すべきこと、そういった天の神がお喜びになることを求めるべきです。イスラエルの初代王サウルは、卑小な人物であったと言えるでしょう。ダビデが戦士であって、戦いに出て勝利を収めて帰ってくると、女たちは笑いながら「サウルは千を打ち、ダビデは万を打った(第一サムエル18:7)」と繰り返して歌いました。それを聞いたサウルは怒り、ダビデに激しい嫉妬をしたのです。それ以後のサウルの生涯は、心を入れ替える場面はあるものの、ダビデを殺すことだけに心が向いて行き、はかなく、哀れなものでした。創世記41章には、ヨセフがパロ王の見た夢を解き明かし、ヨセフは囚人(無実の罪)から一気にエジプトの総理大臣となりました。そのことは、ヨセフを任命したパロ王の人間としての大きさを窺い知ることができます。結果的に、そのヨセフの功績によってエジプトに大きな富がもたらされるのです。私たちは、自分の感情に支配されるのではなく、真実なこと、正しいこと、清いこと、愛すべきことなど、すなわち、神のみこころを求めましょう。そこに目を留めていきましょう。そこに永遠の祝福があるのです。

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