●2022年6月19日(日)礼拝メッセージ要旨  

ピリピ人への手紙4:10~23から「あらゆる境遇に対処する秘訣」という題でポイントを3つ上げて行きます。    

①あらゆる境遇に対処する秘訣…パウロは12節で「私は、貧しさの中にいる道も知っており、豊かさの中にいる道も知っています。また、飽くことにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、あらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。」と言っています。パウロは多くの場合、福音宣教のゆえに迫害を受け、鞭打たれ、ある時は獄舎で過ごしました。そういった苦しく、厳しい環境に置かれていた一方で、豊かさの中にいたこともあったのでしょうか?使徒24:26に、ローマ総督ペリクスがパウロから金をもらおうとしていたことが記されていますので、もしかしたら、一時的にパウロは大金を所有していたのかもしれません。または、生れ育った実家が富裕だったことも考えられます。さて、「あらゆる境遇に対処する秘訣」です。13節に「私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことも出来るのです。」とあります。パウロは、様々な試練の中で、主の御名を呼び求め、助けを受け、難局を乗り超えていたのです。

     

②私のほしいのは霊的祝福…今日は父の日です。テレビで、お父さんたちが父の日に何が欲しいのか、というアンケート調査をしていました。第一位は「何もいらない」でした。確かに、父親の立場から、我が子から自分へのプレゼントを特に欲しいとは思わないでしょう。そんなことより、我が子の幸せをひたすら願うだけでしょう。以前、超教派の集会でのことです。そのとき講師だった福音伝道者のF先生は、小学生の息子さんから父の日に箸をプレゼントされました。長い箸で、それは、食事用のものではなく、料理用の菜箸(さいばし)だったそうです。F先生は、それを喜び、その長い箸で食事をしたとのことです。後に、その息子さんは大人になり、現在、牧師として用いられています。父が我が子を思うように、パウロはピリピ教会の人々からの支援を喜びつつも、彼らの霊的成長と永遠の祝福を得ることを願うのでした。使徒20:35には、「受けるよりも与えるほうが幸いである」とあります。段階的に、人はイエス・キリストを信じてクリスチャンになると、最初は自分のことにしか思いが行き届きません。しかし、段々と霊的に成長し、大人のクリスチャンとなり、自分の回りの人々の救いと祝福のために祈り願うようになります。

③私の神は必要を満たして下さる…19世紀後半に、ジョージ・ミュラーはイギリスで孤児院を開設しました。その孤児院には数千人の孤児がいました。ジョージ・ミュラーは、その運営について、人に頼らず、ただ神に頼る(祈る)という方針でした。食事時になっても食べ物が無くて、困っていると、そのたびに奇跡が起き、パンを積んだ運搬車が突然訪れるということが度々ありました。後にジョージ・ミュラーは同志社の新島襄に招かれ、日本に来て講演をしています。その講演を聞いた医師の石井十次は岡山で孤児院を開設しました。また、救世軍の山室軍平も感化を受けました。私たちは、それぞれ、様々なものや才能が与えられているものです。それらを自分のために蓄えたところで、やがて、この世に置いていかねばなりません。それらを神の栄光のためにささげて、用いていただきましょう。その結果、全能の神は、ご自身の栄光の富をもって、私たちの必要をすべて満たしてくださいます。

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