●2022年7月10日(日)礼拝メッセージ要旨  

コロサイ1:21~29から「しっかりとした土台の上に」という題でポイント4つ上げて行きます。

1.しっかりとした土台の上に…ある有名な建築家は、「建物は土台が出来たら、全体の50%完成したと同じだ」と言ったとのことです。植物も根がしっかり下に張ってないと強く成長しません。マタイ5~7章で、イエス・キリストが山で弟子たちを始めとする群衆に語られた聖書箇所を山上の垂訓とも呼ばれています。その最後の所で、岩の上に建てられた家と砂の上に建てられた家の話が出てきます。雨が降り洪水が押し寄せたとき、岩の上の家は倒れなかったが、砂の上の家は倒れ、しかもその倒れ方がひどかった、とあります。それは、建物のことではなく、私たちの人生の土台のことを言っています。マタイ7:24には「だから、わたしのこれらのことばを聞いてそれを行う者はみな、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができます。」とあり、人生の土台となるイエス・キリストのことば、聖書のことばを聞き、それを実行しましょう。また、この世においては、良い人も悪い人もいます。蛇のようにさとく鳩のように素直な心で(マタイ10:16参照)、日々、過ごしてまいりましょう。

2.キリストのからだのために…パウロは24節で「私は、あなたがたのために受ける苦しみを喜びとしています。」と言っています。このことばは、指導者としての模範となるべきものと思います。プロ野球で選手として大活躍し、また監督としても手腕を発揮した落合博満さんは、監督時代、選手がミスをすると、「俺の責任、その選手を使った俺が悪い」と言って、決して選手を責めることはありませんでした。さて、パウロですが、24節後半で「私の身をもって、キリストの苦しみの欠けたところを満たしているのです。キリストのからだとは、教会のことです」と言っていますが、キリストのからだなる教会は、人間の集まりですから、当然、完全ではありません。その不完全で、弱い部分に対して、パウロは何らかの手立てを施して満たしていると言っているのです。サーバントリーダーシップという言葉があります。リーダーであるけれども、召使いのように仕えるということです。キリストは、マタイ20:27で「あなたがたの間で人の先に立ちたいと思う者は、あなたがたのしもべになりなさい。」と言われました。

3.奥義とはキリスト、栄光の望み…アダムとエバの時代から今日まで約6000年です。聖なる神の御子イエス・キリストが十字架の救いを完成し、天に昇り、聖霊が降り、初代教会が誕生してから約2000年です。つまり、最初の4000年間は隠されていたのですが、ペンテコステの聖霊降臨以後、この奥義が聖徒たちに現わされたのです。この奥義とは、キリスト者の内におられる聖霊、栄光の望みです。また、キリスト者は、ガラテヤ5:22~23の御霊の実(愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制)を結んでいるか、自らを吟味しましょう。

4.キリストにある成人として…第一のポイントでは「土台」について話しました。この第四では土台の上に建てる建物についてです。第一コリント3:11には「というのは、だれも、すでに据えられている土台のほかに、ほかの物を据えることはできないからです。その土台とはイエス・キリストです。」とあります。キリストの土台の上には、キリストにある建物を建てねばなりません。終わりの日が来た時、真価が試されます。キリスト者は神に選ばれ、任命されました。それは実を結び、その実が残るためです。また、御名により、祈った祈りを聞いていただくためです(ヨハネ15:16参照)。祈りは、自分の願いを神に求める。それで良いのですが、一方で、祈りは神との対話でもあります。祈りを通し、神のみこころ知り、そのみこころに従うことがキリストの成人と言えるでしょう。

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