第一テサロニケ2:13~20から、「主イエスが再び来られるとき」という題でポイント3つ上げていきます。
1.神のことばは働いている…神のことばによって、この世界は創造されました。今も、神の全能の力によって、この世界は統治されています。太陽が東から出て西に沈みます。また、春夏秋冬、神は季節を与えてくれます。それらは全能の神の力によるものです。しかし、人それぞれ、全能の神の存在すらも認めない人もいます。エペソ1:19には「また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、あなたがたが知ることができますように。」とあります。私たちは、全能の神の力を信じ、神に感謝する者でありたいと思います。そして、もう一つ大切なこと、それは、私たちの内に神のことばが働いて、私たちの生活習慣が変わったことです。Ⅰペテロ1:18~19には「ご承知のように、あなたがたが父祖伝来のむなしい生き方から贖い出されたのは、銀や金のような朽ちる物にはよらず、傷もなく汚れもない小羊のようなキリストの、尊い血によったのです。」とあります。私たちは、イエス・キリストの十字架の救いによって、偶像礼拝、この世に蔓延する淫乱酩酊などから解放されたのではないでしょうか。それは、神のことばが私たちの内に働いている証拠です。
2.神の諸教会にならう者となった…イエス・キリストの福音宣教が始まったのは、イエス・キリストが十字架の死から復活して50日目のペンテコステの日です。その日、3千人ほどが弟子に加えられ、さらに、その後5千人が弟子とされました。正にエルサレムでリバイバルが起こり、それから全世界に福音が広がって行きました。それと同時に迫害も起こりました。それは今も同じです。福音宣教という最も素晴らしい良いことに対して反対する人がいるのです。イエス・キリストが悪霊に憑かれた人を癒したとき、パリサイ人はキリストに対して「悪霊どものかしらベルゼブルの力で悪霊を追い出している」と、とんでもないことを言いました。昔も今も、福音宣教には、そうやって揶揄する人や迫害する人がいるものです。ですから、少しくらいの迫害など恐れることなく、私たちは福音を伝えましょう。テサロニケ教会の人々がそうであったように、私たちもエルサレムの初代教会にならう者であるべきです。
3.主イエスが再び来られるとき…イエス・キリストが再臨する日が近づいています。その日、ラッパが鳴り響き、イエス・キリストが雲に乗って来られます。そのとき、キリストを待ち望んでいる人にとっては、救いの日、喜びの日、栄えある日となります。しかし、そうでない人にとっては、地獄への入口に立つような、そんな日々の始まりとなるでしょう。最終的な地獄について、マルコ9:48には「そこでは、彼らを食ううじは、尽きることがなく、火は消えることがありません。」とあり、黙示録20:15にはいのちの書に名のしるされていない者はみな、この火の池に投げ込まれた。」とあります。地獄などに行ったら、それは大変なことです。わたしたちは、永遠の滅びの刑罰を免れ、何が何でも、永遠の祝福の場所である天の御国に入らせていただかなくてはなりません。そのために、私たちは、まず礼拝を重んじ、イエス・キリストの父なる神を崇めることを第一としましょう。そして、聖書のことばを慕い求めましょう。また、日々悔い改めつつ熱心に祈り求めましょう。そして、福音宣教に励みましょう。それぞれに与えられた賜物を用い、イエス・キリストの証人となりましょう。