●2022年10月16日(日)礼拝メッセージ要旨 

 第一テサロニケ5:12~28からです。「絶えず祈りなさい」という題で、ポイント5つ上げていきます。  

①「主にあって」…12~13節では「(教会で)指導している人を認めなさい。また、その務めのゆえに深い尊敬を払いなさい」とあります。指導する立場にいる者が「自らを認めよ、尊敬せよ」と言うのはちょっと違和感がありますね。それはともかく、このことは、ちょうど、親子関係についても言えることですが、エペソ6:1には「子どもたちよ。主にあって両親に従いなさい。これは正しいことだからです。」とあります。神の摂理において、神が、その親子を親子としてお定めになったのですから、子が親を敬うということは、そうされた神を敬うことでもあります。また、そうすることによって神の祝福を受けるのです。但し、「主にあって」とありますので、例えば未信者の親が信者の子に対して「偶像礼拝せよ」と強要したら、従う必要はありません。教会の指導者がその教会の信者に対して、明らかに聖書のみことばに反することを指導したら、それは従う必要はありません。

②「いつも善を行なう」…14節で「気ままな者を戒め」とあります。昨今、人に対して間違いを正すことなどは、誰もやりたがりません。下手すると相手に恨まれてしまうからです。でも、その人が間違っていたら、そのまま見て見ぬふりをするより、正してあげるほうが親切です。もちろん、愛をもって配慮しながら正してあげることです。また、「小心な者を励まし、弱い者を助け、全ての人に対して寛容であり、悪に悪で報いず、すべての人に善を行なうよう努めよ」とあります。人間は感情に支配されやすいものです。自分の感情で物事を判断せず、いつでも主のみことばを基準として行動しましょう。

③「喜び、祈り、感謝」…誰でも、イエス・キリストを信じることによって救われますが、その信仰を最後まで持続しなければなりません。パウロは、Ⅱテモテ4:7で「私は勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。」と言っています。私たちも、この世において信仰における霊的な戦いがあります。その戦いに勝利するために、いつも喜び、絶えず祈り、すべてのことについて感謝するのです。Ⅰペテロ5:8には「身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。」とあります。悪魔とか悪霊と言われるものが実際に存在し、未信者に対しては目くらませを行ない、信者に対しては、その信仰をぐらつかせようと日夜働いています。ですから、神はキリスト・イエスにあって、喜び、祈り、感謝することを私たちに望んでいます。

④「御霊を消してはなりません」…20節で「預言をないがしろにしてはいけません」とあります。筆者は、3.11東日本大震災のあと、アメリカから来られたある方が「あなたに預言のことばがあります」と言われました。筆者がそれを受け入れると、その人は「あなたは日本人の偶像礼拝に対して、その罪に対する糾弾を恐れず語りなさい」と続けました。確かに、そのことは筆者に与えられた使命として意識していたので、励ましを受けました。最近、プロスポーツの一団体の選手たちが集団で某神社を参拝しました。良かれと思ってやっているのでしょうが、偶像礼拝は祝福どころか却ってマイナスとなるでしょう。19節の「御霊を消してはなりません」というのは、エペソ4:30では「聖霊を悲しませてはなりません」とあり、神のみこころを損なうようなことを行なって、御霊が消されることのないよう気を付けましょう。

⑤「霊、たましい、体」…人間の「死」というのは、聖書によると、外側の体と内側の霊魂と分離するということです。「霊とたましい」を「霊魂」として、一緒にしましたが、本体は魂で、その魂が霊の影響を受けて、ある人は救いに、別の人は滅びに至るのです。マタイ10:28には「からだを殺しても、たましいを殺せない人たちなどを恐れてはなりません。そんなものより、たましいもからだも、ともにゲヘナで滅ぼすことのできる方を恐れなさい。」とありますように、やはり、本体の魂が聖霊の影響を受けていれば健全ですが、悪霊の支配下にあると不健全であり、場合によっては危険な状態にあります。クリスチャンはイエス様を信じて、この上ない救いを得たのですから、この地上での使命を十分に果たすためにも「霊、たましい、体」が完全に守られるように、やはり、いつも喜び、絶えず祈り、すべてのことについて感謝しましょう。

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