●2022年11月20日(日)礼拝メッセージ要旨 

本日は 第1テモテ1:12~20からです。パウロが神から受けた恵みなどについて書いてあります。「私は罪人のかしらです」という題で、ポイント3つ上げていきます。

1.私を強くしてくださるキリスト…パウロは、ガマリエルの門下生として厳格な教育を受けるほどの熱心なユダヤ教徒でした。後に、パウロはキリスト者になり、新約聖書の中の13巻の手紙(ローマ人への手紙~ピレモンへの手紙)を書いています。彼の持っていたユダヤ教の知識が大いに役立ったことでしょう。でも、パウロの手紙はユダヤ教の知識だけでは成り立たず、主が彼を強め、知恵を与え、それらが今日、聖書の中に組み入れられています。また、手紙だけではなく、パウロの働きは福音宣教で大いなる実を結びました。それは、主が彼を強め、聖霊の力によって用いられたのです。ピリピ4:13には「私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。」とあります。私たちも、イエス様を信じて従うとき、主によって強くされるのです。そして、喜びと平安な心で神の栄光のために仕えてまいりましょう。

2.私は罪人のかしらです…13節でパウロは、「 私は以前は、神をけがす者、迫害する者、暴力をふるう者でした。」と言っています。確かに、以前パウロはキリスト者を迫害する者でした。ステパノ殉教のとき、石打ちをする人たちの着物の番をしていました。ただ、パウロが直接的に暴力をふるった記事は聖書にはありません。それでもパウロは「私は罪人のかしらです」と言っています。これはパウロの謙遜から出たことばではないでしょうか。箴言18:12には「人の心の高慢は破滅に先立ち、謙遜は栄誉に先立つ。」とあります。また、ヤコブ4:6には「しかし、神は、さらに豊かな恵みを与えてくださいます。ですから、こう言われています。『神は、高ぶる者を退け、へりくだる者に恵みをお授けになる。』」とあります。私たちは人に対して謙遜であることも良いことですが、もっと大事なことは、全知全能の創造主である真の神の前に謙遜であるかどうかということです。昼には太陽、夜には月が出ます。それは全知全能で創造主である真の神が、地球に住む人間のために備えてくださったのです。初日の出の太陽を拝んだり、「お月見」と言って月に供え物をすることは、誰かから贈り物をいただいたとき、それを下さった人に対してお礼を言うのではなく、いただいた物にお礼を言うことと同じです。そして、真の神様からの最大で最高の贈りものは、救い主イエス・キリストです。イエス様を信じる信仰によって罪の赦しと永遠のいのちがあるからです。真の神の前にへりくだり、パウロのように「私は罪人のかしらです」と告白する者に、神は豊かな恵みを注がれるのです。

3.目に見えない唯一の神に… 私たちが信じる神は、私たちの目に見えません。偶像は人の手によって作られ、人の目に見えますが、何の能力もありません。「彼らの偶像は銀や金で、人の手のわざである。口があっても語れず、目があっても見えない。耳があっても聞こえず、鼻があってもかげない。手があってもさわれず、足があっても歩けない。のどがあっても声をたてることもできない。(詩篇115:4~7)」と聖書が言っている通りです。しかし、「私たちの神は、天におられ、その望むところをことごとく行われる。(詩篇115:3)」のです。そして、神は情け深く、あわれみ深く、恵みに富んでおられます。また、詩篇145:18には「主を呼び求める者すべて、まことをもって主を呼び求める者すべてに主は近くあられる。」とあります。私たちは、この真実な神を呼び求め、神と共に歩んでまいりましょう。  

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