●2022年11月27日(日)礼拝メッセジ要旨  

第一テモテ2:1~15から、「願い、祈り、とりなし」という題でポイント4つ上げていきます。

①願い、祈り、とりなし…イエス・キリストを信じたクリスチャンは、どのように歩むべきでしょうか。あるとき、律法の専門家が、キリストに対して「大切な戒めは何ですか」と質問しました。するとキリストは「『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』これがたいせつな第一の戒めです。  『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』という第二の戒めも、それと同じようにたいせつです。律法全体と預言者とが、この二つの戒めにかかっているのです。」と言われました。つまり、神と人とを愛して生きるということです。その点、「祈り」は、神を愛し、人を愛することでもあります。私たちは、身近な人のためにはよく祈るものです。高い地位にある人たちのために祈るということはしていないかもしれませんが、このことも忘れないようにしましょう。それは主に喜ばれることであると、パウロは言っています。

②神が望んでおられること…神は私たち人間を母の胎の中に形造られ、そして私たちは、この創造主なる神によって生かされているのです。人間はロボットを作り、それを自分のために意のままに用います。しかし、神は人間をロボットのように形造られたのではありません。人間には自由意志が与えられています。創造主なる神を信じない自由もあるし、神に従わずに生きる自由もあります。本来なら、人間は、自分を形造り、生かしておられる神を信じて従順に生きるべきで、そうすることが幸いなのです。でも、多くの人々は、神を無視し、神に敵対して生きています。それでも神は、そういう人間に対して、裁くことを望まず、救われて真理を知ってほしいと願っておられます。

③神と人との仲介者 … イザヤ53:6には「私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った。しかし、主は、私たちのすべての咎を彼に負わせた。」とあります。神のみこころから離れて自分勝手な道に向かって行った私たちのために、唯一の神は、唯一の仲介者であるイエス・キリストを世に送られ、十字架の救いを成し遂げられたのです。詩篇49:8には「たましいの贖いしろは、高価であり、永久にあきらめなくてはならない」とあります。誰も支払うことの出来ない罪の代価をイエス・キリストが十字架の救いにより支払ってくださったのです。私たちがすべきことは、子供のように神の国を受け入れ、素直な心で信じ、従うことです。パウロは、その福音の宣伝者、使徒、教師とされたのです。

④男は~女は~…男性は、怒らず、きよい手を上げて祈るようにと勧めています。また女性は、派手な装飾品で身を飾るのではなく、良い行ないを自分の飾りとしなさいと勧めています。また、女性は従う心を持って男性を支配したりせず、静かにしていなさいと言っています。昨今の風潮によれば、少し時代錯誤に思う人もいることでしょう。確かに男性よりも有能な女性もいるでしょうし、実際に、士師記に登場するデボラという女性は女預言者としてイスラエルさばいていました。特別に、そのように神に召された女性もいるでしょうが、パウロは、基本的な、男性と女性のあり方を説いているのです。第一ペテロ3:7には「同じように、夫たちよ。妻が女性であって、自分よりも弱い器だということをわきまえて妻とともに生活し、いのちの恵みをともに受け継ぐ者として尊敬しなさい。それは、あなたがたの祈りが妨げられないためです。」とあります。それぞれに、神が与えてくれた賜物に応じて、神の栄光のために歩んでいきましょう。

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