●2023年1月8日(日)礼拝メッセージ要旨 

2022年12月18日はプレ・クリスマス礼拝、12月25日はクリスマス礼拝、先週2023年1月1日は元旦礼拝で、しばらくテモテ書から離れていましたが、本日は第一テモテ5:1~25から、「人との接し方など」という題でポイントを4つ上げていきます。

①「老人に対して」…日本には「敬老の日」があります。今年は9月18日(月)で土日と連休になっています。海外では、例えばアメリカでは「老人の日」はありますが、休日にはなっていないようです。韓国では元々、年長者を敬う慣習が確立していて、わざわざ「敬老の日」を設けることに意味がないようです。第一テモテ5:1では「年寄りを叱るな。父親に対するようにしなさい。」となっています。レビ記19:32では「あなたは白髪の老人の前では起立し、老人を敬い、またあなたの神を恐れなければならない。わたしは【主】である。」とあります。しかし、一方でヨブ記32:9には「年長者が知恵深いわけではない。老人が道理をわきまえるわけでもない。」とあります。テトス2:2には「老人たちには、自制し、謹厳で、慎み深くし、信仰と愛と忍耐とにおいて健全であるように。」とあります。年を取っても、人の意見に耳を傾け、柔軟性豊かで、それでいて謹厳で慎み深く、キリストの香りを放つ老人であることが望ましいでしょう。

②「やもめについて」…やもめについては、3~16節まで長い節を使って言及しています。弱い立場にあり、同情すべきですが、教会の一員として、「たとい、やもめであっても正しい生活をしなさい」ということです。自堕落な生活をすることなく、子どもを育て、すべての良いわざに務め励むように勧めています。8節には「家族を顧みない者は信仰を捨てている」とあります。これは、やもめだけではなく、キリスト者は、信仰のゆえに家族を犠牲にするなどということはすべきではなく、却って家族を愛し、家庭を大切にしなければなりません。

③「長老について」…17節には「よく指導の任に当たっている長老は、二重に尊敬を受けるにふさわしいとしなさい。」とあります。この場合の長老とは今日の牧師のような立場の人です。確かに、みことばを取り次ぐ指導者に対しては、敬意を持つことは良いことでしょうが、そうかと言って、指導者の側も何か自分を偉い者であるかのような錯覚をしてはなりません。自己鍛錬を怠らず、ただ、神と人とに仕える者であることを忘れてはなりません。

④「その他」…■教会は、天上の永遠の希望について語られる場所ですが、今はこの地上に置かれていて、この世にあって社会の一員です。当然、社会性も備えて、健全に社会と共存していかねばなりません。■22節には按手のことが書いてあります。軽々しく按手をしてはいけない。その人物を見極めて、慎重にということでしょう。■23節では、「少量のぶどう酒を用いなさい」とあります。胃のために用いるということです。箴言20:1では「ぶどう酒は、あざける者。強い酒は、騒ぐ者。これに惑わされる者は、みな知恵がない。」とあります。少量を薬として用いるのが望ましいでしょう。■最後です。善であれ、悪であれ、今は隠れていても、やがて明らかにされる時が来ます。自分の名声や我欲のために強い者におもねり、弱者をないがしろにしているなら、やがて、その報いを受けることになるでしょう。ピリピ2:3~5には「何事でも自己中心や虚栄からすることなく、へりくだって、互いに人を自分よりもすぐれた者と思いなさい。自分のことだけではなく、他の人のことも顧みなさい。あなたがたの間では、そのような心構えでいなさい。それはキリスト・イエスのうちにも見られるものです。」とあります。聖なる神を恐れ、キリストを模範として、天に宝を積む歩み方を求めてまいりましょう。

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