●2023年3月12日(日)礼拝メッセージ要旨 

テトス1:2~15からです。老人や若い人などに対する教えで、内容的には第一テモテ5章と似ています。ここから、「良いわざに熱心なご自分の民」という題でポイントを3つ上げていきます。

1.健全な教え…2節には「老人たちには、自制し、謹厳で、慎み深くし、信仰と愛と忍耐とにおいて健全であるように。」とあります。次に、老婦人は「悪口を言わず」、若い人々は「思慮深く」、奴隷は「すべての点で自分の主人に従って、満足を与え、口答えせず」と言っています。現在では「奴隷」というのは人権的に問題ですから、部下と上司に重ね合わせればよいでしょう。今、WBC世界野球が行われています。大谷選手が注目を浴びていますが、日系選手のヌートバー選手も話題を集めています。特にヒットを放ったときのペッパーミルポーズが話題となっています。「身を粉にして働く」と言う意味であのポーズを行なっているとのこと。日本では「ゴマすり」という言葉があります。こちらは自分の利益のために他人にへつらうことで、良い意味で使われてはいません。そうです。私たちは、神の栄光のために身を粉にして、神と人とに仕えて行きたいと思います。

2.すべての人を救う神の恵み…11節に「すべての人を救う神の恵みが現われ」とあります。ここで改めて「救い」とは何かを考えてみましょう。使徒の働き26:18には「それは彼らの目を開いて、暗やみから光に、サタンの支配から神に立ち返らせ、わたしを信じる信仰によって、彼らに罪の赦しを得させ、聖なるものとされた人々の中にあって御国を受け継がせるためである。」とあり、聖書が言っている「救い」ということを、深く、的確に、この1節をもってで表現していると言えます。正に、闇の力がこの世を支配し、この日本においては巨大新興宗教が跋扈し、偶像礼拝が蔓延しています。そういう中で、霊の目が開かれ、キリストの十字架による救いを受けた人々は極わずかです。確かに、「神は全ての人が救われて真理を知るようになるのを望んでおられます(第一テモテ2:4)。」とありますので、キリスト者も、そのことを願い行動すべきです。しかし、最終的な責任は、福音を聞いた個々人の決断にかかっています。つまり、キリスト者に課せられた責任は福音を伝えるということです。マタイ24:14には「この御国の福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての国民にあかしされ、それから、終わりの日が来ます。」とあります。キリスト者は、この世にあって敬虔に生活し、イエス・キリストを証し、福音を宣べ伝えることです。

3.良いわざに熱心なご自分の民…今、私たちは、主の再臨が近づいている終末の時代を迎えつつあると言ってよいでしょう。「主の再臨」、それは神の救いとさばきの時です。そのとき、私たちはどうあるべきでしょうか。14節には「キリストが私たちのためにご自身をささげられたのは、私たちをすべての不法から贖い出し、良いわざに熱心なご自分の民を、ご自分のためにきよめるためでした。」とあり、おもに、二つのことを言っています。「熱心」と「きよめ」です。黙示録3:15には「わたしは、あなたの行いを知っている。あなたは、冷たくもなく、熱くもない。わたしはむしろ、あなたが冷たいか、熱いかであってほしい。」とあります。冷たくて良いはずがありません。やはり、心を熱くしていなければなりません。そして、ヘブル12:14には「すべての人との平和を追い求め、また、聖められることを追い求めなさい。聖くなければ、だれも主を見ることができません。」とあります。信仰の創始者であり、完成者であるイエス・キリストをいつも見上げつつ心熱くし、そして聖い生き方を求め、神に仕えてまいりましょう。

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