●2023年4月2日(日)礼拝メッセージ要旨  

本日からヘブル人への手紙に入ります。誰から誰に宛てて書かれた手紙であるのか、明確なことは不明です。ただ、その内容は「ヘブル人向け」であることは明確です。創世記14:13には「ヘブル人アブラム」と出てきます。ヘブル語を使うアブラハムの子孫、またはユダヤ教の影響を受けている人々に宛てて書かれた手紙です。「御子は神の栄光の輝き」という題でヘブル1章からポイント3つ上げていきます。    

1.御子は神の栄光の輝き…アダムとエバの時代から今日まで約6000年が経過しています。今から、およそ2023年前に神の御子イエス・キリストが世に現われました。そのキリスト以前には、神は預言者たちを通して語っておられましたが、それ以後は、御子によって語っておられます。御子は万物の相続者です。マタイ28:18でキリストは「わたしには天においても地においてもいっさいの権威が与えられています」と言われました。また、御子は世界の創造者でもあります。ヨハネ1:3では「すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。」とあります。そして、御子は神の栄光の輝きであり、神の本質の完全な現われでもあり、みことばによって万物を保ち、罪のきよめを成し遂げました。「神の本質」、それは、私たち人間を愛されたということではないでしょうか。第一ヨハネ4:9には「神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。」とあります。この事実は本当に大きなことです。一方、日本の多くの人々は、偶像礼拝をしています。木や石や金属などで作られた偶像の神々を拝んでいます。どんなに精巧に偶像を製作しても木は木、石は石、金属は金属、運んだり、汚れをぬぐったり、人間がお世話しなければなりません。そのような偶像が人間の願いを聞いたり、問題を解決したり、祝福を与えたりするということなどは決して出来ません。私たちは、心の目が開かれて、偶像ではなく、人の目には見えないけれども実在の生ける真の神、しかも自ら十字架によって愛を示された御子イエス・キリストの救いを受け入れ、この方の愛と祝福の中を歩んでまいりましょう。

 2.神のみ使いとの比較…創世記18章で、神は二人のみ使いを伴い、三人の姿で、アブラハムに現われています。そのとき、一年後、アブラハムの妻サラに子が与えられること、また、ソドムとゴモラのさばきについてアブラハムに知らせます。ルカ1章では、み使いガブリエルが祭司ザカリヤに現われ、彼の妻エリサベツに子が与えられることを告げ、その半年後、今度は処女マリヤに聖霊によって、救い主がお生まれになることを告げます。使徒の働き27:24では、パウロが囚人として護送された船が難船しているとき、神のみ使いがパウロに現われ「恐れてはいけません」と励ましています。み使いは仕える霊であって、救いの相続者に仕える(14節)のです。ここでは、御子イエス様は、そのみ使いたちよりもさらに優れたものとして示されています。

 3.御子について…8~12節では、詩篇45:6~7から、また詩篇102:25~26からの引用が挿入されています。要約すると、御子は世界を正しく裁かれ、神とともに立つ者に喜びの聖霊を注がれるということです。そして、御子はこの天地を創造したのであるが、やがて、この天地が滅びる時が来るということ。だから、私たちは、この世の見えるものに執着するのではなく、とこしえに変わることのないものに目を留めるべきであるということです。第一ペテロ1:24~25には「人はみな草のようで、その栄えは、みな草の花のようだ。草はしおれ、花は散る。しかし、主のことばは、とこしえに変わることがない。」とあります。聖書のみことばを信じ、信頼していきましょう。

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