●2023年3月26日(日)礼拝メッセージ要旨 

ピレモンへの手紙1~25からです。この書は、パウロからピレモンへの個人的な内容の手紙であって、聖書の中にあっても独特な色彩を放っています。「同労者ピレモンへ」という題でポイント3つ上げていきます。    

1.主イエスに対して抱いている信仰…ピレモンは、パウロから「同労者」と呼ばれています。またピレモンの家は教会として用いられていたようです。ということは、ピレモンはイエス・キリストを信じた喜びのゆえに、自分を主にささげ、自分の所有する家を教会として提供したのでしょう。先週はWBC世界野球で、日本が優勝し、国中が大喜びでした。決勝でのアメリカ戦で、大谷投手が最後のバッターをアウトに取ると、日本選手たちは集まって飛び上がりながら大喜びしました。旧約聖書の最後のページ、マラキ4:2には「しかし、わたしの名を恐れるあなたがたには、義の太陽が上り、その翼には、いやしがある。あなたがたは外に出て、牛舎の子牛のようにはね回る。」とあります。やがて、主にある私たちが天の御国に凱旋することを許されるならば、その喜びのゆえに、牛舎の子牛のように飛び跳ねるでしょう。また、その前味として、この地上にいるときに天の喜びの一端を、キリストを信じる信仰のゆえに体験している人もいるでしょう。

 2.親切は自発的であるべき…このピレモンへの手紙は、「気配りの手紙」とも言えます。パウロとピレモンの関係は、教会の中ではパウロが指導者として、ピレモンに対して何か命令的に指示を出しても良かったのですが、パウロはそれを好まず、ピレモンが自発的に行動することを願いました。それは、ローマの獄中にいたパウロは、ピレモンの奴隷であったオネシモに出会い、そこでオネシモはパウロの福音宣教によって改心することになります。たぶん、オネシモはピレモンの元から脱走し、もう戻れない状況にあったのでしょう。そこで、パウロが仲立ちをし、ピレモンに対して、オネシモのことを赦し、受け入れるように勧めているのです。そればかりでなく、18節では、もしオネシモがピレモンに対して負債を負っているのなら、それを自分が肩代わりすると言っています。このパウロの姿は、キリスト・イエスのうちに見られるものです。ピリピ2:6~8には「キリストは神の御姿である方なのに、神のあり方を捨てられないとは考えず、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられました。人としての性質をもって現れ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われました。」とあります。個人対個人、国対国もそうですが、相手の幸いを願い、自己を犠牲にしてでも行動するとき、そこには争いも戦争も生じる余地はありません。

 3.宿の用意もしておいてください…パウロは、この手紙の最後で、自分のための部屋を用意するようにピレモンに命じています。それは元々、パウロとピレモンの関係は、そのように命じてもおかしくない関係だったのでしょう。この手紙全体を読んだピレモンの様子を知ることはできませんが、たぶん彼は、パウロの願いを快く受け入れたことでしょう。パウロはピレモンに対して、オネシモの事に関しては控えめに、自分自身の事に関しては遠慮なく率直に語りかけています。極端な例ですが、同じヨハネ2章で、キリストはカナの婚礼では水をぶどう酒に変える奇跡を行なわれ、エルサレムの神殿では商売している人たちの台を倒されました。それもこれも神の愛に基づいて行動されたのです。私たちも、日常生活において人と接するとき、基本的には柔和で優しくも、時に、状況に応じてストレートな対応をしなければならないこともあるでしょう。

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です