●2023年6月25日(日)礼拝メッセージ要旨 

 ヘブル8~10章では、「初めの契約と新しい契約」をテーマにして、ここしばらく礼拝で学んできました。今日は、その最後のまとめと言えます。ヘブル10:23~39から「一緒に集まりましょう」という題で、ポイント3つ上げていきます。

1.一緒に集まる … ここ2~3年は、新型コロナウィルスの影響で、一般の飲食店などが大きな影響を受けてきました。キリスト教会も例外ではなく、少なからぬ影響を受けてきました。それもそのはず、教会は「集まる」ということが大切にされてきたからです。先週のテキスト最後の22節には「そのようなわけで、私たちは、心に血の注ぎを受けて邪悪な良心をきよめられ、からだをきよい水で洗われたのですから、全き信仰をもって、真心から神に近づこうではありませんか。」とあります。「神に近づく」ためには何をすればよいでしょう。一番手っ取り早いのは教会に集まることです。なぜなら、マタイ18:20に「ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいるからです。」とあるように、主イエス・キリストの名によって集まる所、すなわち教会には聖霊様がおられ、教会に集まることによって、真の神様に近づくことが出来るからです。当教会では、かつて月曜日から土曜日までの毎日午前5:30から早天祈祷会が行われていました。しかし、建物移転などに伴い、個人のデボーションを大切にしようという観点から、早天祈禱会を行なわなくなりました。しかし、毎日でなくても、持続可能な形で、無理なく集まる機会を設けることは良いのではないかと、現在検討中です。

 2.確信を投げ捨てない…クリスチャンの確信とは何でしょうか?それはイエス・キリストによる救いです。ヨハネ3:16には「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」とあるように、ただ、イエス・キリストを信じることによって、救いを受けるのです。しかし、その後が大切です。悪魔も生きていて、救われた人を放っておきません。キリストがマタイ12:43~45で、たとえ話をもって警告しておられるように、心の中を空っぽにしておくと、そのすきをねらって悪の霊が侵入してくるのです。そうならないために、常に、聖霊で満たされることを求めていかねばなりません。救いの確信を投げ捨てないためには、私たちは、それなりに自分を整えていなければなりません。ダビデは詩篇16:8で「私はいつも、私の前にを置いた。が私の右におられるので、私はゆるぐことがない。」と言っています。「自分の前に主を置く」とは面白い表現です。私たちの人生には色々なことがあります。良いこともあれば、そうでないこともあるでしょう。でも、どんなときも、キリストを通して物事を見ることです。そうすれば、私たちの信仰はゆるぎないものとなるでしょう。

 3.信じていのちを保つ者…インボイス制度が、この秋から適用されると言われています。一見、公平に見える制度ですが、これまで売り上げ一千万以下の小規模事業者に課されていなかった消費税分を搾り取るという仕組みです。レビ記19:10には「畑の収穫を刈り取るとき、貧しい人、在留異国人のために、その隅々まで刈り取ってはならない」という教えがあります。それは、神の愛から発していることです。その点、インボイス制度は「畑の隅々まで刈り取ってしまえ」という非情な制度と言えます。マタイ24:12には「不法がはびこるので、多くの人たちの愛は冷たくなります。」とありますが、確かに、今は終わりの時代で、日本においても、また世界中で、愛が冷えているような傾向が見受けられます。しかし、私たちは、世の中の風潮に流されることなく、キリストを信じて、キリストの愛によって行動しましょう。恐れ退いて滅びる者ではなく、信じていのちを保つ者となりましょう。

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