●2023年7月16日(日)コンサート礼拝メッセージ要旨

■「世が与えるのとは違う平安(安心感)」という題でお話しします。最初にヨハネ14:27です。「わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。」

■今日(こんにち)、私たちは実に様々な要因によって安らぎを脅かされます。戦争、地震、災害、また、今、マイナンバーカードの混乱、福島第一原子力発電所の汚染水の海洋放出などです。それらを外的要因とするなら、もう一つは、私たち全ての人類が共通して持っている内的要因、つまり、その人の心の中に潜在的に存在する不安です。「人間はどこから来てどこへ行くのか?何のために生きるのか?死んだらどうなるのか?」というような心の内側に潜む問題です。ですから、この世には無数の宗教が存在し、多くの人々は、みんなが行くところなら、それでよいとしているのです。しかし、聖書には(昔、パウロが今のギリシャのアテネで語ったことばです)、「この世界とその中にあるすべてのものをお造りになった神は、天地の主ですから、手でこしらえた宮などにはお住みになりません。また、何かに不自由なことでもあるかのように、人の手によって仕えられる必要はありません。神は、すべての人に、いのちと息と万物とをお与えになった方だからです。(使徒の働き24~25)」と書いてあります。この世界と宇宙を創造してくださった唯一で真の神様は、人の手によってこしらえた宮などにはお住みになりません。また、そういった宮に安置されている神々は人の手によって作られたものであり、運んでやったり掃除をしてやったりしなければなりません。

■真の神様は、私たち人間にとって必要な水や空気をお与えになり、その他、季節に応じて美味しい食べ物を与えてくださり、私たち人間に実に多くの恵みを与えてくださっています。しかし、人間は「創造の神などいない。人間は偶然に生まれ、今まで進化を続けてきた。無目的に生きていて、死んだら終わりだ。だから、生きている時が全てだ。自分のやりたいことをやればいい。」と、多くの人のそんな声が聞こえてくるようです。それに対して、聖書は「私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った。しかし、は、私たちのすべての咎を彼に負わせた。」と言っています。真の神は私たちを愛し、そのひとり子イエス・キリストをこの世に送ってくださり、その、神の御子イエス様が十字架によって、私たちの罪をその身に負ってくださいました。先ほど、竹下さんが「あなたの愛の中で」というオリジナル曲を歌われました。「イエス・キリストの十字架の愛を心に受け入れ、この方と共に歩んで行きましょう」という意味です。

■「世が与えるのとは違う安心感」を得るためには、ぐらぐらしない、しっかりとした土台の上に人生を築くことです。キリストは、マタイ7:24~27で、岩の上に家を建てた賢い人と、砂の上に家を建てた愚かな人のたとえ話をしています。そのマタイ7:24節で「だから、わたしのこれらのことばを聞いてそれを行う者はみな、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができます。」と言っています。つまり、岩の上に家を建てるということは、イエス・キリストのことばを聞いて、それを行なうということ、聖書を読み、みことばを実行するということです。私(筆者)は1976年4月26日にイエス・キリストを信じました(受洗は同年6月6日)。それ以来、揺るぎない安心感と主にある喜び、また生きる目的を悟り、虚無感から解放されました。そして、神の民に加えられ、永遠の天の御国が約束されているのです。

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