●2023年9月10日(日)礼拝メッセージ要旨 

本日はヤコブの手紙2:14~26から、「行ないをともなう信仰」という題でポント3つ上げていきます。

1.死んだ信仰…15~16節にあるように、そこに着る物や食べ物に困っている人がいるとして、「暖かになり、十分に食べなさい。」と言ったものの、何も与えないとしたら、何の役にも立ちません。先週の水曜日と土曜日は計3つの集会を予定していました。しかし、その日に限って土砂降りと台風の到来が予測され、それら3つの集会はすべて中止にしました。結果的には、どの集会も開催不可能ということはありませんでしたが、ただ、強行して何があるか分からない状況の中で集会を持つことを不安に感じる人もいるでしょう。ですから、まずは、安全、安心を優先しなければなりません。3.11東日本大震災の時には物流がストップし、コンビニエンスストアーの品物が一気に無くなってしまいました。そんな折、震災後5日目くらいに筆者の出身教会からガソリンと食品などが届きました。筆者はガソリンを満タンにした車で、教会員を中心に、知り合いを回り、その食品を配ったり、近況を分かち合ったりしました。誰かの役に立つことは喜びです。元はと言えば、他者からの支援があったからです。

2.神はおひとりだと信じている…世界の基本的な一神教と言われる宗教は、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教です。ユダヤ教は旧約聖書を受け入れているもののイエス・キリストを受け入れていません。イスラム教は、イエス・キリストを預言者の一人とみなし、コーランを聖典としています。キリスト教は旧新約聖書を聖典とし、イエス・キリストを神の御子、救い主としています。ここで、ちょっと意外と言いましょうか、面白いことに気づきます。それは、悪霊どもも神はお一人であり、イエス・キリストが救い主だと知ってるということです。但し、悪霊どもは、唯一で聖なる神と御子イエス・キリストに敵対し、人々の救いを妨げようとしています。クリスチャンは、その悪霊と同じところに留まっているならば論外です。そうではなく、神と人とを愛し、仕えていくべきです。どのようにして神と人とを愛しますか?十戒は10の戒めのうち8つの戒めが「〇〇してはならない」です。そして、2つの戒めが「〇〇しなさい」です。第四戒が「安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ」で、第五戒が「あなたの父と母とを敬え」です。つまり、神と人とを愛するとは、日曜日の礼拝に参席し、父母を敬う、もしくは身近な人を大切にすることです。そこから始まっていくのです。そして霊的に成長し、キリストの救いの福音を伝えるようになったらもっと幸いです。

3.アブラハムとラハブ…アブラハムは、正真正銘、イスラエル人の元祖です。しかも信仰の父と言われています。あるとき、神はアブラハムに対して、ひとり子イサクをささげるようにと命じます。アブラハムは全能の神のことばに従順に従おうとします。そのアブラハムの信仰姿勢が「信仰の父」と言われる所以なのでしょう。 一方、ラハブは元々イスラエル人ではなくカナン人の陣営のエリコに住んでいました。しかも彼女は遊女でした。彼女は、イスラエルから二人の斥候(偵察隊)を迎え入れ、エリコにイスラエルが攻めてきたとき、ラハブとその家族が助け出されるように彼ら斥候と盟約を結びました。その後、追手が来ると、彼らを上手に逃がしてあげました。その結果、ラハブはイスラエル民族に加えられ、マタイ1章のキリストの系図に堂々と名を連ねています。イスラエル人の元祖であるアブラハムに比べると、ラハブは落ちこぼれのような存在です。あまりに違い過ぎるアブラハムとラハブですが、彼ら二人には共通点があります。それは、神に対して従順に従うという点です。神の目から見れば、アブラハムとラハブに何の違いも無いのかもしれません。ローマ1:5には「このキリストによって、私たちは恵みと使徒の務めを受けました。それは、御名のためにあらゆる国の人々の中に信仰の従順をもたらすためです。」とあります。主は、私たちがみことばに従順に従うことを望んでおられるということでしょう。私たちもアブラハムとラハブのように神に従順に従う者とされましょう。

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