●2023年9月17日(日)礼拝メッセージ要旨  

本日はヤコブの手紙3:1~18から、「上からの知恵」という題でポント3つ上げていきます。

1.舌(人の語る言葉)の力…私たち人間は多くの点で失敗をするものです。とりわけ、言葉で失敗しない人などはいないと言っても過言ではないでしょう。また、舌(言葉)は小さな器官ですが、馬のクツワや船の舵、あるいは大きな森林を焼いてしまう火のように、小さくても大きな力を発揮します。6節にあるように、舌は火であり、不義の世界で、からだ全体を汚し、人生の車輪を焼き、最終的にゲヘナの火によって焼かれます。もちろん、舌によってもたらされるのは、マイナス面ばかりではなく、「あの一言によって励まされた」とか「力をもらった」というプラス面もあるでしょう。エペソ4:29には「悪いことばを、いっさい口から出してはいけません。ただ、必要なとき、人の徳を養うのに役立つことばを話し、聞く人に恵みを与えなさい。」とあります。そのように、良きにつけ、悪しきにつけ、私たちが語る言葉には意外と大きな力があることを悟り、マイナスの方向ではなく、プラスの方向にその大きな力を活用していきたいですね。

2.賛美とのろい…私たちは舌をもって天の父なる神様を賛美します。そして、その同じ舌をもって神に形造られた人を呪ったりしてはいけない、と、ここで語られています。先日のことですが、筆者はインターネットで、ある商品を注文しました。しかし、その会社の対応が芳しくなく、クレームのメールを送信しようとしました。しかし、そのとき、震度1か2の小さな地震が発生しました。習慣的に、地震があるといつも祈ります。突発的に「主よ。赦してください。」と祈っていました。主に「クレームは止めなさい」と言われたようでした。結局、クレームのメールは止めました。たとい、知らない相手へのメールであっても真心こめたメールを出す方が良いに決まっています。第一ペテロ3:9には「悪をもって悪に報いず、侮辱をもって侮辱に報いず、かえって祝福を与えなさい。あなたがたは祝福を受け継ぐために召されたのだからです。」とあります。それはイエス・キリストのうちに見られるものです。第一ペテロ2:22~24です。「キリストは罪を犯したことがなく、その口に何の偽りも見いだされませんでした。ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、おどすことをせず、正しくさばかれる方にお任せになりました。そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。」

3.知恵のある賢い人…13節には「あなたがたのうちで、知恵のある、賢い人はだれでしょうか。その人は、その知恵にふさわしい柔和な行いを、良い生き方によって示しなさい。」とあります。創世記26章にイサクについて書いてあります。イサクは大いに祝福を受け富んでいました。それで、ペリシテ人の王アビメレクは、「あなたは強くなったので、我々のところから出て行ってくれ」と頼みました。柔和なイサクは黙ってゲラルの地へ移動して、そこで井戸を掘りあてました。するとゲラルの羊飼いたちが来て、「その井戸は我々のものだ」と言って横取りしました。そこでイサクは大人しくして、別の井戸を掘ると、それに対しても、彼らは争いを仕掛けてきました。それでもイサクは別の地に移動して、そこで井戸を掘りました。そこは広々しているところでレホボテと呼びました。結果的に一番良い地に移ったのです。その一連のイサクの動静を見ていたアビメレク王は、イサクが全能の神に祝福されていることを恐れ、平和条約を結ぶためにイサクのところに来ました。もちろん、イサクはそれを受け入れました。ヤコブ3:18には「義の実を結ばせる種は、平和をつくる人によって平和のうちに蒔かれます。」とあります。今日(こんにち)の私たちにはイエス・キリストによる十字架の福音があります。この福音を平和のうちに証し、または伝道して、多くの義の実を結びましょう。

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