本日はヤコブの手紙5:1~20から、「祈りなさい。賛美しなさい。」という題でポント4つ上げていきます。
1.富者と労働者…4節で「刈り入れをした労働者への未払い賃金」ということが記されています。つまり、地主は、収穫の殆どを自分だけのものにして、小作人には十分に与えなかったのでしょう。アメリカの経済紙フォーブス社が2023年4月に発表したところによると、一人当たりの国民総生産(GDP)の世界ランキングでノルウェーが2位になっています。ノルウェーは近年、石油産出国となっていますが、その資源を一部の特権階級の人たちだけの所有物とはせず、国が管理し、その利益を国民全体に還元しようというシステムが機能しています。その背景にはキリスト教、聖書の教えが影響していると思われます。ローマ人への手紙15:1には「私たち力のある者は、力のない人たちの弱さをになうべきです。自分を喜ばせるべきではありません。」とありますように、それぞれ、自分に与えられている能力や賜物をもって互いに仕え合うことが理想的です。我欲によらず、主の教えに従うことで、これを見て、主が祝福してくださり、却って豊かになるのです。
2.主の来られる時まで耐え忍びなさい…どの分野においても、一つのことを成功させるには、「忍耐」が必要です。11節には「ヨブの忍耐」を取り上げています。ヨブは、神を信頼して忍耐し、後に、二倍の祝福を得ました。イスラエルの王となったダビデも義父であったサウル王に苦しめられ、忍耐を強いられました。ダビデは「油注がれた方に手を下してはいけない」として、自らの手でサウルに歯向かうことはしませんでした。結局、サウルはペリシテ人との戦いで負傷し、命を落としました。但し、ダビデは、先を急がず、その後、サウル家が衰退するまで7年半経過した後に、ようやく全イスラエルの王となったのです。ですから、今日もイスラエルの名君として、ダビデの右に出る王はいません。7節には、「農夫は秋の雨と春の雨を耐え忍んで待っている」ということが記されています。これは、農業のことを言っているのではありません。大雨のように聖霊の働きがあるということ、リバイバルのことを言っています。その主の時を待つにはつぶやかず、期待をし、忍耐して待ち望むのです。
3.信仰による祈り…12節では突然、「誓ってはいけない」とあります。例えばスポーツ選手のインタビューなどで、「次の試合では絶対勝ちます」などと聞くことがあります。自分を追い込むため、鼓舞するためという意味があるでしょうが、でも、負けたら嘘になります。本来なら、「次の試合で頑張ります」が無難でしょう。クリスチャンだったら、同じクリスチャン向けに「勝利できるように祈ってください」と言うのが良いかもしれません。つまり、私たちには明日のことは分かりません、5分先でさえも何があるか分かりません。だから、お祈りするのです。祈るということは、神を求め、神に近づくことです。ピリピ2:21には「だれもみな自分自身のことを求めるだけで、キリスト・イエスのことを求めてはいません。」とあります。神は、私たちに、ご自身に心を向けてほしいと願っておられます。16節には「義人の祈りは働くと、大きな力があります」と言っています。私たちは、イエス・キリストを信じる信仰によって、義とされ、祈れば大きな力があるのです。逆に、祈らないことは大きな損失でもあるのです。その「大きな力」をどこに向けるべきか、が次のポイントになります。
4.罪人のたましいを救う…19~20節では、「真理から迷い出た人を連れ戻すことは、多くの罪をおおうことである」と、最大限の評価をしています。迷い出た人のみならず、元々の福音を知らない人々に福音を届けることも素晴らしい働きです。マルコ16:15でキリストは「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。」と言われました。現在、霊的な不毛の地である日本のために祈り、そして、愛によって福音を届けましょう。