●2023年10月22日(日)礼拝メッセージ要旨  

●2023年10月22日(日)礼拝メッセージ要旨  

第一ペテロ2:1~12から「成長し、救いを得る」という題でポイント3つ上げていきます。

1.純粋なみことばの乳を慕い求める…近頃の母子の授乳においては、粉ミルクなどはあまり使わず、母乳のみ授乳させる傾向にあるようです。一般の食品においては、保存料や香料などの添加物などが入らない自然食品が見直されている傾向にあります。創造主である神の存在を認めている人にとっては、神様が人間のために提供して下さっているものがベストであるということが認識されてきたとも言えるでしょう。ところで、同じ「乳」について語られているヘブル5:13には「まだ乳ばかり飲んでいるような者はみな、義の教えに通じてはいません。幼子なのです。」とあります。この場合は大人になっても乳飲み子と同じ飲み物を飲んでいるようではいけないということであって、この第一のポイントで言わんとしていることは、みことばに対して、乳飲み子のように一途に慕い求めるべきであるということで、みことばに対する渇望を持って、熱心に慕い求めるべきであるということです。そして、そのように、みことばを慕い求めることによって、成長し、救いを得るのです。もちろん、救いはイエス・キリストを信じる信仰によるのですが、一時的に信仰すればそれでよいとするのではなく、霊的な成長をすることによって、救いが確立されるということです。逆に、礼拝にも参加せず、成長が止まっていると、救いから外れる危険性もあります。ですから、成長を切望し、礼拝参席を厳守し、純粋な聖書のみことばを慕い求めることです。

2.生ける石…7節の「家を建てる者たちが捨てた石、それが礎の石となった」は、詩篇118:22からの引用です。それは、イエス・キリストは十字架で殺され、見捨てられたのですが、そのキリストの十字架のゆえに救いの道が開かれました。正に、その預言通りになったのです。また、6節には「見よ。わたしはシオンに、選ばれた石、尊い礎石を置く。彼に信頼する者は、決して失望させられることがない。」とあり、イザヤ28:16からの引用です。今から二千年ほど前、イエス・キリストはユダヤ人社会に現われました。まずガリラヤで、ペテロ、ヤコブ、ヨハネなど、ご自分に従う人たちを集めて共に行動されました。一方で、エルサレム周辺にいた律法学者やパリサイ人などのユダヤ教の指導者たちは、キリストに反発し、後に、キリストを十字架に引き渡してしまいます。それは、今日(こんにち)も同じであり、イエス・キリストを信じ、信頼して従う者もいれば、逆に、キリストを無視し、反発、反対する者もいます。キリスト者である私たちは、キリストのもとに来て、キリストと同じように「生ける石」として霊の家に築き上げられ、聖なる祭司としての歩みを進めましょう。自分のためだけに生きる人生ではなく、世に遣わされている祭司として、神と人とに仕えましょう。

3.王である祭司…9節には「しかし、あなたがたは、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。それは、あなたがたを、やみの中から、ご自分の驚くべき光の中に招いてくださった方のすばらしいみわざを、あなたがたが宣べ伝えるためなのです。」とあります。クリスチャンは神の所有とされ、選ばれた聖なる国民であり、しかも王である祭司です。ヤコブ1:9には「貧しい境遇にある兄弟は、自分の高い身分を誇りとしなさい。」とあります。もちろん、富んでいても、クリスチャンは王である祭司として霊的に高い身分を保有しているのです。祭司の務めは神と人との間に立って執り成すことです。キリストは十字架につけられているとき、ご自分の着ていた着物をくじ引きしているローマ兵たちのために「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。(ルカ23:34)」と祈られました。主の再臨が近づいているとき、私たちは王である祭司としての自覚を持ち、肉の欲を遠ざけ、異邦人の中にあって立派にふるまい、主の御名が崇められることを求めていきましょう。

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