●2023年11月19日(日)礼拝メッセージ要旨  

第一ペテロ5:1~14から「堅く信仰に立って」という題でポイントを3つ上げていきます。

1.長老たちと若者たち…ここで言う長老たちとは、現在の牧師、あるいは教会の指導者に属する人たちのことでしょう。若者たちとは、文字通り若者たちか、教会の一般信者のことでしょう。さて、その長老たちについてですが、3節では、「割り当てられている人たちを支配するのではなく、群れの模範になりなさい」と言っています。しばらく前のことですが、テレビで仙台近郊のある町にあるスーパーマーケットのことが紹介されていました。そこの社長さんは朝早くから自らトラック(2トン車くらいの)を運転し、市場へ行って品物を仕入れてきます。そして店に帰ってくると、仕入れた品物をトラックから降ろし、さらに自ら店頭に品出しをして並べます。従業員さんたちも、そんな社長さんの動きを見ていますから、自然にきびきびと働き、店は大繁盛しているようです。もちろん、教会はそういった営利を目的とする企業とは違いますが、トップに立つ人が皆の模範になるという点では、学ぶべきところがあります。5節で、「若い人たちは長老たちに従いなさい。みな互いに謙遜を身につけなさい。」と言っています。

2.思い煩いをいっさい神に委ねなさい…「思い煩い」というのは人それぞれで、その深刻度は大きな違いがあることでしょう。しかし、考えてみれば「思い煩い」のない人などはいないでしょう。「思い煩い」があるからこそ人間であり、生きている証拠であるとも言えるのではないでしょうか。7節では「思い煩いをいっさい神に委ねなさい」と言っています。「神に委ねる」とはどうすることでしょうか。ピリピ4:6~7では「何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。」と言っています。「神に委ねる」とは、お祈りして神に願いを聞いていただくことです。その結果、神が働いてくださり、心に不思議と平安が訪れるのです。筆者自身も、時折、心がざわざわすることがあります。そんなときお祈りをしていると、しばらくして心に平安が来ます。昔から「病は気から」などと言われています。心を常時平安に保つということは、健康のためにも良いと思われます。

3.堅く信仰に立って…8節には「身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。」とあります。日本には獅子(ライオン)や虎はいませんが、今年は熊があちらこちらで出没し、人的被害を及ぼしたというニュースをよく聞きます。万が一、熊に出会ったら逃げてはいけないそうです。熊は逃げるものを追うという習性があるようです。逃げずに向き合って、ゆっくりと距離を広げるのがよいそうです。万が一襲われたら、なるべく武器になるものを持って応戦して自分の命を守るしかありませんが、まあ、そういう状況にはなりたくありませんね。さて、9節では「堅く信仰に立って、悪魔に立ち向かいなさい。」とあります。クリスチャンは、かつては悪魔の支配下にありました。しかし、救い主イエス・キリストを信じる信仰によって、闇から光に、悪魔の支配から神の支配下に移されました(使徒26:18参照)。ところが、せっかく持った信仰が不信仰になると、再び悪魔の支配下に逆戻りする可能性がありますから、十分注意しなければなりません。総合聖歌573番(旧聖歌706番)は「エリコの城を囲み」という曲です。その5番の歌詞に「もう駄目だ、と言う時に悪魔はすぐ付け込む。信じぬかば勝利を得ん、祈り抜け、祈り抜け。」とあります。私たちが信じるイエス・キリストの父なる神は、あらゆる恵みに満ちた神(10節)です。ヘブル11:6には「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。」とあります。「堅く信仰に立つ」とは、聖なる神の祝福を期待し信じて待ち望むことです。

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