●2024年3月3日(日)礼拝メッセージ要旨

ヨハネ第一の手紙4:11~21から「愛には恐れがありません」という題でポイント4つ上げていきます。  

1.神の愛が全うされる…11~12節では「天の父なる神が、御子イエス・キリストを遣わすほどに、これほどまでに神は私たちを愛してくださっているのですから、私たちもまた互いに愛し合うべきです。そして、互いに愛し合うならば神は私たちのうちにおられて、神の愛が私たちのうちに全うされるのです。」と、そういったことが記されています。ヨハネ15:13には「人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。」とあります。正直なところ、私たちはイエス様のような大きな愛を表わすことはできないでしょう。その愛の精神だけはしっかりと持ちたいと思います。先週は、筆者は所沢の教会で説教をさせていただきました。その教会の週報(礼拝プログラム)の表紙には大きな赤い字で「わたしはあなたを愛している」と、イザヤ書43:4のみことばを掲げていました。その通りに、神の愛を地道に実践している教会だと思いました。

2.神の愛のうちにおり…ローマ10:9には「なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。」とある通り、私たちはイエス様を主と告白し、救いに与りました。それは、私たちの心に聖霊様が注がれているからです。論理的な説明は難しいのですが、「告白の力」のようなものがあります。例えば、いつも前向き肯定的な言動をしている人は、その言ったとおりの人生になっているものです。逆に、いつも後ろ向きで否定的なことばかり言っている人は、その通りの人生になっているのではないでしょうか。まして、神の御子イエス・キリストを信じる告白をする人には、神がその人に臨まれ、その人は神のうちにおり、神もその人のうちにおられるのではないでしょうか。

3.愛には恐れがありません…イエス様を信じると、聖霊様が心に宿ります。つまり、その人は救いを受けて、神が共におられ、神の愛が心にあるのですから、やがて神の審判の日にも恐れるものはありません。今、確定申告の真っ只中にあります。時期を同じくして、国会では、議員さんたちの裏金問題が色々と議論されています。税務担当のお役人の方が、何度も答弁に立ち、「個別の事案について述べることは差し控えます」と繰り返し言っています。正に、「権力を持った国会議員さんには課税しませんよ」と言っているように聞こえてきます。なぜ、「権力者だろうが誰だろうが公平にきっちり徴税します。」と言えないのでしょうか。そんなことを言ったら、自分のポストが危うくなる恐れがあるからです。箴言29:25には「人を恐れるとわなにかかる。しかし【主】に信頼する者は守られる。」とあります。私たちは、人の顔色をうかがうのではなく、全知全能の神を恐れて生きるべきです。その神こそ、私たちのたましいをゲヘナに投げ込むことのできる方です。

4.兄弟を愛する…ルカ10:30~36で、良きサマリヤ人のたとえ話があります。強盗に襲われて道端に倒れている人がいるのに、祭司とレビ人は道の反対側を通り過ぎました。しかし、ユダヤ人と仲良くないサマリヤ人が彼を助け宿賃を払い、足りなかったら帰りに支払います、と言いました。キリストが、「この中で誰が強盗に襲われた人の隣人になったのか」と律法の専門家に質問すると、専門家は「その人に憐みをかけた人です」と答えました。知らない赤の他人でも、助けの手を差し伸べれば隣人です。教会では、同じ神様を信じれば、兄弟姉妹です。20節で「神を愛すると言いながら兄弟を憎んでいるなら、その人は偽り者です。」とあります。私たちは、色々な機会に色々な人に出会います。どこでどうなるのか、先のことは分かりません。人を偏り見ることなく、その都度その都度、最善を尽くして、誠実に、地の塩、世の光として歩んでまいりましょう。

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