●2024年3月10日(日)礼拝メッセージ要旨 

ヨハネ第一の手紙5:1~12から「世に勝つ者とは誰でしょう」という題でポイント3つ上げていきます。  

1.世に勝つ者とは誰でしょう…5節で「世に勝つ者とは誰でしょう。イエスを神の御子と信じる者ではありませんか」と言っています。もし、私たちがイエス・キリストを信じているとすれば、それは、神の恵みです。エペソ2:8には「あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。」とあり、ヨハネ15:16前半には「あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。」と。そして、エペソ1:4には「すなわち、神は私たちを世界の基の置かれる前から彼にあって選び、御前で聖く、傷のない者にしようとされました。」とあって、私たちは、神の側からの選びにより、恵みによって信仰によって救われたのです。そうかと言って、私たちは、イエス・キリストを信じる決断をして「世に勝つ者」となるのです。やがて、生涯を終えたとき、死の先に何の希望も無いとしたら、死は恐怖でしかありません。しかし、イエス・キリストの十字架の救いにより罪赦され、神によって生まれた者であるならば、その人は正に、世に打ち勝った勝利を得ています。

2.御霊と水と血…6節前半には「このイエス・キリストは、水と血とによって来られた方です。」とあります。この手紙の著者ヨハネは、ヨハネの福音書でも好んで「水」を用いて表現しています。水は人間が生きるためには非常に大切なものです。命の源と言っても過言ではありません。ヨハネの福音書7:37~38では「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」とあります。水はいのちの供給源であり、また、あのノアの大洪水に見られるような地球規模の圧倒的な力を表し、創造主なる神の側に属するものであると言えます。一方「血」は、レビ記17:14aで「すべての肉のいのちは、その血が、そのいのちそのものである。」とあります。つまり、イエス・キリストは神のもとから来られた神ご自身であり、また人としてのご性質を併せ持って、この世に来られたということです。そして7~8節では「あかしするものが三つあります。御霊と水と血です。この三つが一つとなるのです。」とあります。マタイ28:19の「父、子、聖霊の御名」という三位一体論の根拠と言える表現を彷彿とさせます。この世においては、見えるものは見えないものによって支配されているものです。あまり意識していないかもしれませんが、私たちの信仰生活においては、聖霊の働きは私たちが思う以上に現れているのではないでしょうか。水と血によって来られたイエス・キリストは、御霊によってあかしされ(6節)、私たちはそれを御霊によって悟ることができるのです。

3.御子を持つ者はいのちを持っている…現在、プロ野球もですが、メジャーリーグではオープン戦たけなわです。先日3月6日にエンゼルスとドジャースが対戦しました。大谷選手はエンゼルスに所属していましたが、ワールドシリーズでの優勝が見込めないということで、毎年、好成績を上げているドジャースに移籍しました。すると、大谷選手が抜けたエンゼルスよりも大谷選手が加わったドジャースが格段に強いはずなのですが、なんと、その日の結果は4対0でエンゼルスが勝ったのです。人間の行なうことは、なかなか計算通りには行かないものです。もちろん、オープン戦ですし、シーズンに入れば違うことでしょうが。しかし、神のなさることは完全です。また、語られたみことばは真実です。御子を持つ者、すなわちイエス・キリストを信じる者は真のいのちを持っているということです。これは動かしがたい事実ですから、私たちは、ここにしっかりと立ち続けましょう。第二コリント5:17には「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」とあります。罪の中で霊的に死んでいた古い自分は過ぎ去りました。今はイエス様によって新しく造られたものであり、まことのいのちを持つ者とされているということを確信しましょう。

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