●2024年3月24日(日)礼拝メッセージ要旨  

ヨハネ第一の手紙5:13~21から「神のみこころにかなう願いをするなら」という題でポイント4つ上げていきます。  

1.永遠のいのちを持っている…インターネット上のある情報によりますと、現在の世界総人口は73億人、そのうちキリスト教の信者は23億人、32%を占めているとのことでした。もちろん、一口に「キリスト教」と言っても様々な宗派もありますから、この23億人の人たちが、個人的に、創造主なる真の神を信じ、その聖なる神の前に自らを罪人として認め、その罪からの救い主イエス・キリストを信じ受け入れている人かどうかということになると、また違った数字になってくるかもしれません。13節にありますように、「神の御子の名を信じている者は永遠のいのちを持っている」ということが非常に重要で、ヨハネはそのことを明確にするためにこの手紙を書いたのです。

2.何事でも神のみこころにかなう願いをするなら…筆者個人の認識として、この14節はかねてから有名なみことばであると思っています。私たちは、神を信じる者としてよくお祈りをします。素直な心で、何でも神に対して願うものを求めて祈ればよいと思います。但し、そこに私たち自身の思いと全能の神のみこころが乖離(かいり)していたら、その願いは聞かれないほうが幸いであると言えるでしょう。創世記18章で、アブラハムはソドムが滅ぼされないように主に願いました。彼は「もしや、その町の中に50人の正しい者がいるかもしれません。ほんとうに滅ぼしてしまわれるのですか。」と言うと、主は「「もしソドムで、わたしが50人の正しい者を町の中に見つけたら、その人たちのために、その町全部を赦そう。」と言われました。アブラハムは「正しい人が50人いないかもしれない」と考えたのでしょう。続いて同じように45人、次に40人、30人、20人、10人というふうに、最終的に10人の正しい人がいたらソドムは滅ぼされないという確約を得ました。しかし、結局、ソドムに正しい人10人いなかったのです。ロトと二人の娘たちの三人だけは救出されたものの、ソドムとゴモラの町は滅ぼされたのです。このアブラハムの願い(祈り)に見られるように、「祈り」とは神のみこころに近づくことであるとも言えます。箴言16:1には「人は心に計画を持つ。【主】はその舌に答えを下さる。」とあります。私たちはそれぞれ、神の目的のために生かされているのではないでしょうか。その、神の目的を遂行するために、神に近づき、祈り、神のみこころを悟らせていただきましょう。

3.兄弟が死に至らない罪を犯したら…16節では「死に至らない罪」と「死に至る罪」ということが表現されています。何が死に至り、何が死に至らないかということは明確にされてはいませんが、全ての人は聖なる神の前に罪人であり、この世に義人は一人もいません。ですから、私たちは、神の前にへりくだり、キリストの救いを受けて、日々、罪の悔い改めが求められます。しかし、「死に至る罪」と言われているように、深刻な状態の場合もあるでしょう。その場合は、厳しい対応が必要とされるでしょう。第一コリント5:11には「私が書いたことのほんとうの意味は、もし、兄弟と呼ばれる者で、しかも不品行な者、貪欲な者、偶像を礼拝する者、人をそしる者、酒に酔う者、略奪する者がいたなら、そのような者とはつきあってはいけない、いっしょに食事をしてもいけない、ということです。」とあります。私たちは、誰に対しても優しく寛容であるべきですが、一方で、神の愛のゆえに厳しい対応をしなければならないということもあるでしょう。

4.神によって生まれた者は罪を犯さない…18節で「神によって生まれた者は罪を犯さない」と言っています。それは、その人に聖霊が宿り、その人を助けてくださるからでしょう。Ⅰヨハネ3:9には「だれでも神から生まれた者は、罪を犯しません。なぜなら、神の種がその人のうちにとどまっているからです。その人は神から生まれたので、罪を犯すことができないのです。」とあります。神の種、つまり、聖霊がその人のうちにおられて、その人を守ってくださるのです。そうかと言って、この世は依然として、悪い者の支配下にありますから、21節に「子どもたちよ。偶像に警戒しなさい。」とあるように、油断大敵です。真実な方、イエス・キリストのうちにとどまり続けましょう。

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