●2024年4月14日(日)礼拝メッセージ要旨  

ヨハネの手紙第三から「たましいの幸い」という題で、ポイント3つ上げていきます。  

1.三つの幸い…世界最大の教会を建て上げ、導いてこられた韓国のチョー・ヨンギ牧師(1936~2021)は、このⅢヨハネ2節から、「三拍子の祝福」ということを提唱しました。「たましい、経済、健康」の祝福です。伝統的な多くの教会では、それまで「たましいの幸い」のみを強調してきたので、チョー牧師の提唱を批判的に受けとめることがあったようです。しかし、伝統よりも聖書がどういっているかが問われるべきでしょう。創世記に出て来るアブラハムは全ての面で祝福されていました。つまり、神を信じ、長寿で、しかも富んでいました。そして、その子イサクも祝福されていました。Ⅰ歴代誌4:10でヤベツは「私を大いに祝福し、私の地境を広げ、災いから遠ざけてください。」と神に祈って、それが叶えられました。旧約聖書だけではありません。このⅢヨハネ2節の他にも、主の祈りの中で、マタイ6:11では「日ごとの糧をお与えください」と、13節では「試みに会わせないで、悪からお救いください」と、決して「たましいの幸い」だけを求めてはいません。但し、マタイ6:33では「神の国とその義とを第一に求めれば、その他の必要は与えられる」ということが語られていますから、やはり、優先すべきは神の国とその義、すなわち「たましいの幸い」ということです。

2.真実な行ない…この手紙の内容からすると、ガイオは土地と家を所有していて、そこが当時の教会の建物として用いられていたのかもしれません。たぶん、当時の巡回伝道者のような人々を、教会として使っている自分の家に招き入れ、そして何らかの奉仕をしてもらい、彼らをもてなし、また、次の旅に送り出したのでしょう。そのことに対して、ヨハネは「真実な行ない」と評価しています。昔も今も、教会で、ガイオのような役割を担っている人は多少いたかと思います。そういった教会の奉仕に限らず、今日、私たちはそれぞれ様々な役割を受け持っていることでしょう。何をしていても、やはり、神の前にその役割を真実に担っていきたいものです。マタイ12:36~37には「わたしはあなたがたに、こう言いましょう。人はその口にするあらゆるむだなことばについて、さばきの日には言い開きをしなければなりません。あなたが正しいとされるのは、あなたのことばによるのであり、罪に定められるのも、あなたのことばによるのです。」とあります。主は私たちの一挙手一投足をいつも見ておられます。もちろん、誰であれ、完全な人はいません。だからこそ、イエス・キリストの十字架の救いを受け入れ、神の赦しをいただきながら、真実な生き方を求めていくのです。

3.デオテレペスとデメテリオ…似たような名前の人が二人出てきますが、デオテレペスは行状が芳しくなく、教会の中で問題を起こしていたようです。一方、デメテリオは正しい真実な人だったようです。11節では「愛する者よ。悪を見ならわないで、善を見ならいなさい。善を行う者は神から出た者であり、悪を行う者は神を見たことのない者です。」と勧めていて、ヨハネは、ガイオがデオテレペスから悪影響を受けないように、むしろデメテリオを見習うようにと言っているのですが、この辺りの内容が、この手紙の本論とも言えるでしょう。詩篇34:14~15には「悪を離れ、善を行え。平和を求め、それを追い求めよ。【主】の目は正しい者に向き、その耳は彼らの叫びに傾けられる。」とあります。全知全能の神は生きておられ、私たち全ての行動、言葉、その心の内側も知っておられ、それぞれに正しい評価を下されるのではないでしょうか。私たちは、この真の神を恐れ、柔和な生き方、人の徳を立て、平和を求める生き方をしましょう。イエス・キリストは「ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、おどすことをせず、正しくさばかれる方にお任せになった(Ⅰペテロ2:23)」方です。このキリストに倣って祝福される道を歩んでまいりましょう。

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です