●2024年5月12日(日)礼拝メッセージ要旨  

黙示録2:1~11からです。1章では、著者のヨハネに対して、この黙示録が示される源であるイエス・キリストの恐ろしいほど力強い本来のお姿が記されています。そして、2~3章では、当時の七つの教会について言及されています。本日は、そのうちの二つの教会、エペソ教会とスミルナ教会について、良い点、問題点、また励ましのことばなどを通して、地域と時代を超えて、現代の教会、そして私たちの教会も比較、対照しながら、教えられ、整えられてまいりましょう。 

1.エペソ教会について…エペソ教会は、イエス・キリストの御名のために忍耐し、ニコライ派という誤った教えに対して妥協しなかったということが評価されています。しかし、4節で、「初めの愛から離れてしまったという点についてお叱りを受けています。クリスチャンは基本的に救い主イエス・キリストを信じ、そのことを公に明らかにするためにバプテスマを受けます。そして、その信仰を維持し、守り通して行くのですが、当然のごとく試練があり誘惑もあります。それから守られるために、当教会では昨年まで「WWPP」という標語を掲げていました。礼拝、聖書のみことば、祈り、福音宣教(証しの生活)に勤しむことによって守られようということです。もちろん、人生色々、人間は強くありません。だから、5節で言われているように「それで、あなたはどこから落ちたかを思い出し、悔い改めて、初めの行ないをしなさい。」と語られています。つまり「悔改める」ことが大切です。そして、7節では「耳のある者は御霊が諸教会に言われることを聞きなさい。勝利を得る者に、わたしは神のパラダイスにあるいのちの木の実を食べさせよう。」とあります。私たちは、聖書のことをしっかりと聞き、天のパラダイスで、いのちの木の実をいただくという素晴らしい祝福に与る者とならせていただきましょう。

2.スミルナの教会について…スミルナの教会は「苦しみと貧しさの中にあったけれども実際には富んでいる」と言われています。現在、円安が進み、金の価格が高騰しているようです。黙示録21:21には「都の大通りは、透き通ったガラスのような純金であった」と記されています。私たち人間は、ほんの一時期、仮の宿のような、この地上の生活の中にいます。少しばかり貧しくても大した問題ではありません。また逆に富んでいるとしても、永遠の視点からすれば、ほんの一瞬のことです。さて、9~10節で、スミルナの教会は、「ユダヤ人と称しているが実はサタンの会衆である人々からののしられ、苦しみを受けるけれども、恐れてはいけない。死に至るまで忠実でありなさい。」と言われています。もう44~5年も前、母教会でのことですが、筆者はそれまで人前で説教を語ったことがなく、ある集会(訓練のためという意味合いもあったと思う)で初めて伝道メッセージを語ることになりました。そのときのプレッシャーは大きく、聖書から励ましのことばを探していました。そのときです。この10節の「死に至るまで忠実でありなさい」というみことばに励まされ、メッセージに立ったのです。もちろん、みことばの原意とそのときの筆者の立場とは程遠いものかと思います。そして、11節です。「耳のある者は御霊が諸教会に言われることを聞きなさい。勝利を得る者は、決して第二の死によってそこなわれることはない。」とあります。第一の死とは肉体の死、第二の死とは霊魂の死、すなわち永遠の滅びの刑罰があるということです。私たちは聖書のみことばに聞き従い、まことの勝利を得、第二の死から免れ、永遠のいのちを受ける者とならせていただきましょう。

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