創世記2:1~25からです。1章の後半では、人間は他の生き物とは違い、特別に神に似せて造られたということが記されています。その神に似せて造られた者としてどのように生きるべきなのでしょうか。そのことがこの2章に総論的に述べられているのではないかと思います。ポイント3つ上げていきます。
1.「この日を聖であるとされた」…全能の神が天地を6日で創造され、7日目にその完成を告げられ、この日を聖であるとされました。このずっと後のモーセの時代になり、神はモーセに十戒を授けます。その第4戒、出エジプト20:8には「安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。」とあります。また、さらに同章11節には「それは【主】が六日のうちに、天と地と海、またそれらの中にいるすべてのものを造り、七日目に休まれたからである。それゆえ、【主】は安息日を祝福し、これを聖なるものと宣言された。」とあり、その関連性が述べられています。なお、十戒には十の戒めのうち八つの戒めで「○○してはならない」とあり、二つの戒めで「○○せよ」とあります。その二つの戒めの第4戒が「安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。」であり、第5戒が「あなたの父と母を敬え。」です。十戒を全て守るには「○○してはならない」の戒めは、それをしなければよいのですから、「○○せよ」の二つの戒めに目を留め、これを重点的に守ることです。クリスチャン向けに分かりやすく言うとすれば、日曜日は教会の礼拝に参席し、人間関係の初めである父母を敬い、また全ての人との良好な人間関係を築いていく。それが祝福された人生の土台となるでしょう。
2.「いのちの木と善悪の知識の木」…8節で「神である主は東の方エデンに園を設け」とあります。「東」というのはどこから見て東なのでしょう。このとき、まだ認識されていないはずのエルサレムから見たのでしょうか。一つの川が分かれて四つの源になっていたとのことですが、現在、ティグリス、ユーフラテスは有名ですが他の二つの川はその後枯れてしまったのかもしれません。世界史的には、このあたりは世界最古のメソポタミヤ(複数の川の間の意)文明発祥の地です。さて、このエデンの園に善悪の知識の木が置かれます。この木から食べると「必ず死ぬ」とされます。ここで疑問です。聖なる神は、なぜそんな恐ろしい木を園に置かれたのでしょう。これは、人間が、神の存在を常に意識し、神を恐れて生きるべきであるということを示されたということではないでしょうか。伝道者の書12:13には「結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ。神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。」とあります。
3.「父母を離れ、妻と結び合い」…全知全能の神様には出来ないことなどは何もないのですから、アダムとエバをそれぞれ別々にお造りになってもよいはずですが、神はアダムに深い眠りを下され、彼のあばら骨の一つを取り、その一つからエバを造られました。なぜ神は、アダムの一つの骨からエバを造られたのでしょうか。それは、定められた男女二人が夫婦として一体となるためではないでしょうか。時々、男女平等が叫ばれています。確かに世界的に見ても、弱い立場にある女性が軽んじられる傾向にあります。Ⅰコリント11:12には「女が男をもとにして造られたように、同様に、男も女によって生まれるのだからです。しかし、すべては神から発しています。」とあります。聖書のことばに従い、互いに尊敬し合い、労り合って暮らしていけたらと思います。もう一点、男は妻と結ばれ「父母を離れ」とありますが、この世に存在する人間関係で最も深い絆で結ばれていなくてはならないのが夫婦関係です。真の神様は、私たち人間をこの地に住まわせ、幸せに祝福されて生きることを願っておられます。そのために、安息日を聖として守り、また神を恐れて過ごし、既婚、未婚を問わず、まず身近な人を大切にし、尊敬し合って生きることを望んでおられます。そして、この地上を去る時が来ても、イエス・キリストの十字架の救いによって義とせられ、永遠のいのちに入るために備え、真に豊かな人生を過ごさせていただきましょう。