●2025年9月7日(日)礼拝メッセージ要旨 

今回は創世記を離れ、マルコ4:1~20からです。「百倍の実を結ぶ人」という題で学びましょう。

1.「キリストは、おびただしい群衆に種蒔く人のたとえ話をされる」①道端に落ちた種…鳥が来て食べてしまった。②岩地に落ちた種…すぐに芽を出したが、土が深くなかったので、日が上ると焼けて枯れてしまった。③いばらの中に落ちた種…いばらが伸びて、それをふさいでしまったので実を結ばなかった。④良い地に落ちた種は、芽生えて育って実を結び、30倍、60倍、百倍になった。

2.「たとえの説明を求めた12弟子とその他の人々」キリストだけになったとき、12弟子たちが、キリストにたとえの説明を求めました。すると、主は、イザヤ6:9~10を引用して、「それは、『彼らは確かに見るには見るがわからず、聞くには聞くが悟らず、悔い改めて赦されることのないため』です。」と言われ、弟子たちには「このたとえがわからないのですか。そんなことで、いったいどうしてたとえの理解ができましょう。」と厳しく言われました。

3.「たとえの説明」①道端に蒔かれるとは…鳥とはサタンのことで、みことばを聞いてもサタンにみことばを持ち去られてしまうのです。イザヤ書14章、黙示録18章には、サタンとか悪魔と呼ばれている存在について、「バビロン」と表現しています。紀元前6世紀頃栄えた当時の大帝国です。つまり、この世の権力、栄華の背後でそのサタンが操っているということです。人間は自分の力でサタンに打ち勝つことは出来ません。しかし、サタンはイエス・キリストの父なる神にはかないません。ですから、今日、私たち人間は、イエス・キリストを信じる信仰によってサタンの偽りを見抜き、勝利することが出来ます。この世の多くの人々は、まず、サタンの存在そのものを否定し、サタンの偽りにまんまと騙されています。例えば偶像礼拝などは、サタンの偽りに騙された人の典型的な姿です。

②岩地に蒔かれるとは…みことばを聞くと喜んで受け入れるが根を張らないで、困難、迫害があるとすぐつまずいてしまう人のことです。あらゆるスポーツ競技でも言えることですが、競技中は、勝ったり負けたり、チャンスになったりピンチになったりするものです。ピンチの度に動揺していたら勝てません。ピンチがあるのは当たり前です。同じように、私たちの人生もどんなときも主に信頼し、主を待ち望んでいきましょう。(※但し、「主の祈り」にあるように、「試みに会わせず悪よりお救いください」と謙虚に祈ることも大切です。)

③いばらの中に蒔かれるとは…みことばを聞いてはいるが、世の心遣いや富の惑わし、その他色々な欲望が入り込んでみことばを塞ぎ、実を結ばない人です。先日YouTubeの某キリスト教番組で、「信仰的な成長を妨げる5つの心」というようなタイトルの教えがありました。それは「1.不平不満のこころ 2.過去への執着心 3.信仰よりも先々の心配が優先する心 4.感謝しない心 5.神の時まで待てない心」です。結局、「誰が何て言ったか」ではなく、「聖書は何と言っているか」そこに立っていくということです。

④良い地に蒔かれる…みことばを聞いて受け入れる人は30倍、60倍、百倍の実を結びます。先の道端、岩地、いばらの中の3つの地は、みことばを聞くには聞くのですが、最後の「良い地」は、みことばを聞いて受け入れる人のことです。「みことばを受け入れる」、誰かと比べて成功するとかしないではなく、それぞれに真の神から与えられた使命の中で神の栄光を現わすのです。Ⅰコリント10:31には「こういうわけで、あなたがたは、食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を現すためにしなさい。」とあります。天の神様の評価は、この世の評価とは異なります。私たちは益々聖書のみことばを蓄え、小さなことでも主がお喜びになること、主の栄光となることを求めてまいりましょう。

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