創世記38:1~30からです。創世記37章からヨセフ物語が始まります。しかし、この38章ではユダの記事です。その内容的は芳しいものではありませんが、ヨセフから一旦、ユダの記事になっているのです。ヨセフ(エフライム)とユダは共に、この後のイスラエル民族の中ではリーダー的な存在で、ユダ族からは後にダビデ王が出、そのダビデの血統からイエス・キリストが降誕します。ですから、キーマンとしてのユダの記事がここに出てくるのでしょう。ここでは、「ユダとタマル」という題で三つの段落でまとめます。
1.「エル、オナン、シェラ」(1~11)…1節で「その頃のことであった」と言っています。ユダにとって弟のヨセフがエジプトに奴隷として売られて行った頃のことです。ユダは他の兄弟たちから離れて、アドラム人ヒラの近くで天幕を張ります。そこで、カナン人の娘をみそめて結婚し、男子3人が生まれます。ユダは長子エルにタマルという妻を迎えますが、エルは主を怒らせていて死にます。ユダは次男オナンに「義弟としての務めを果たしなさい」と言い、オナンとタマルは結婚しますが、オナンは生まれる子が自分のものにならないことを知って、結果的に主を怒らせて死にます。そこでユダはタマルに、三男シェラが成人するまで自分の実家で待機するように言い、タマルもそれに従います。
2.「タマルの計略」(12~23)…かなりの日が経過し、ユダの妻が死に、その喪が明けると、ユダは羊の毛を刈るためにティムナに行きます。実家にいたはずのタマルが、ユダの行動を聞き、ティムナへの道にあるエナイムの入口で、顔を覆い、遊女の装いをして待機していました。ユダは彼女が遊女だと思い、彼女と関係を持とうとします。彼女は見返りを求めると、ユダは「子ヤギを贈ろう」と言います。結局、彼女はユダから、その報酬のしるしとして、印形とヒモと杖を預かります。その後ユダは、預けたしるしを取り戻そうと、アドラム人の友人に託して、子ヤギを送るのですが、その女を見つけることができず、ユダも笑い種になるし、そのままにしておくことになりました。
3.「全てが明るみに出される」(24~30)…それから3カ月ほどして「あなたの嫁のタマルが売春し、その上、売春によってみごもっている」という知らせがユダに届きます。するとユダは激しく怒り、「あの女を引き出して焼き殺せ」と言います。ユダからの使いがタマルの所に来ると、タマルは、例の印形とヒモと杖を出し「これらが誰のものかお調べください」と言います。ユダはそれを見定めて、「あの女は私よりも正しい」と自分の間違いを認めます。その後、タマルは出産のときになって、双子のパレス(ペレツ)とザラ(ゼラフ)が生まれます。マタイの福音書1章にはアブラハムの子孫、ダビデの子孫、イエス・キリストの系図が出てきます。その1章3~6節には、ユダにタマルによってパレスが生まれ、その子エスロン、その子アラム、その子アミナダブ、その子ナアソン、その子サルモンと代々続き、サルモンと遊女ラハブによってボアズが生まれ、ボアズとモアブ人ルツによってオベデが生まれ、次にエッサイ、エッサイからダビデが生まれ、ダビデとウリヤの妻からソロモンが生まれます。こうして見るときに、聖書は人間のありのままの姿を坦々と記しています。もし、もっと体裁を良くしようとして事実を改ざんしたとしたら、聖書が聖書でなくなります。汚点と罪と弱さを持つ人間の世界に、キリストは、その全ての負い目をその身に受け、信じる者の罪の赦しと義と永遠のいのちを与えるために十字架の死による救いを成し遂げられたのです。Ⅱコリント5:17には「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」とあります。今、私たちが、イエス・キリストのうちにあるなら、古いものは過ぎ去り、全てが新しくされているのです。そして新しくされた者として上にあるものを求めてまいりましょう(コロサイ3:1~2参照)。