●2023年4月9日(日)礼拝メッセージ要旨

本日はイースター(復活祭)礼拝です。マタイ27:62~28:10から、「主はよみがえられた」という題でポイント3つ上げていきます。

①十字架がもたらすもの…イエス・キリストの「復活」の前には十字架の死がありました。まず、キリストの十字架が意味するもの、十字架がもたらすものについて、改めて整理していきましょう。第一に、それは、私たちに罪の赦しをもたらします。全ての人は聖なる神の前に罪人であり、神のさばきが待っています。しかし、イエス・キリストの十字架の救いを信じる信仰によって、罪が赦され、神の子とせられ、永遠のいのちを受けるのです。第二に、私たちは悪魔の支配下にあって、死の恐怖や不安、劣等感、虚無感などの中にありました。しかし、イエス・キリストを信じる信仰により、悪魔の束縛から解放され、平安と喜びを得るのです。第三に、私たちはキリストによって豊かな人生を得ます。第二コリント8:9には「~主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられました。それは、あなたがたが、キリストの貧しさによって富む者となるためです。」とあります。私たちが、キリストを模範として歩むなら、却って豊かな者となるのです。

 主はよみがえられた…マグダラのマリヤたちが墓を見に行くと、そこに天使が現われました。先に、墓の番をしていたローマ兵たちは、恐怖のあまり死人のようになりました。主の使いはマリヤたちに「イエス様はここにはおられません。前から言っておられたようによみがえられたからです。」と言いました。言うまでもなく、キリストの復活は蘇生とは違い、永遠に死なない体になったのです。キリストの復活は初穂です。私たちがキリストを信じるならば、やがてその時に、キリストと同じように復活の体になるのです。使徒の働き17:31には「なぜなら、神は、お立てになったひとりの人により義をもってこの世界をさばくため、日を決めておられるからです。そして、その方を死者の中からよみがえらせることによって、このことの確証をすべての人にお与えになったのです。」とあります。イエス・キリストが復活したことにより、この方は確かに神のひとり子であるということと、その十字架による救いが明らかなものとなりました。また、やがて、キリストによってこの世界がさばかれるということも確かなものとされたのです。

 ③ ガリラヤに行きなさい…復活したキリストは、マグダラのマリヤに「恐れてはいけません。行って、わたしの兄弟たちに、ガリラヤに行くように言いなさい。そこでわたしに会えるのです。」と言われました。四福音書を調べると、その後、キリストはエルサレムで弟子たちに現われ、そのあとで弟子たちがガリラヤに行き、そこでキリストにお会いしています。そして、弟子たちは再びエルサレムに戻り、キリストがオリーブ山から天に昇られるお姿を見届けています。結局、復活後50日目にして、聖霊が弟子たちに降り、そこから初代教会が始まり、全世界に福音が伝えられて行くのです。弟子たちがキリストを信頼して、従って行ったように、今日、私たちも、イエス・キリストを信じ、従ってまいりましょう。ローマ14:7には「私たちの中でだれひとりとして、自分のために生きている者はなく、また自分のために死ぬ者もありません。」とあります。そんなに大きなことをしようと思わなくてもよいのです。キリストにあって、まず、すぐ近くにいる人の幸いを願って自分にできる行動をすればよいのです。そこから始まって行くのです。

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