●2023年6月11日(日)礼拝メッセージ要旨  

●2023年6月11日(日)礼拝メッセージ要旨  

ヘブル9:15~28からです。イエス・キリストが、十字架の血によって新しい契約を確立してくださった、という内容です。印象的な表現からピックアップして、ポイント3つ上げていきます。

1.永遠の資産の約束…6月6日は、筆者の受洗記念日です。47年前の、その頃以来、筆者はイエス・キリストを信じる信仰のゆえに、正に「永遠の資産の約束」を自分のものとし、主にある喜びと安心感、そして生きる目的を伴う充実した毎日を送るようになりました。そして、この2~3年は、新型コロナウィルスの騒動があり、それまでと違う価値観も登場しました。それまで教会では多く集まることが良いこととされていましたが、少ない人数で礼拝することが良いという、思いもよらない価値観も生まれました。ここに来て、世界的にもコロナがほぼ収束したかと思われます。そのような中、筆者自身はどことなく、モチベーション低下傾向にありました。先日、世界最大の教会を建て上げた有名な牧師さんのメッセージビデオを視聴しました。「具体的な目標を持つこと。夢を描き、情熱を持ち、信仰的な言葉を語りなさい。」というメッセージでした。振り返ってみれば、筆者は数的な目標を掲げたことが殆どありませんでした。しかし、それを改め、目標を紙に書いて、部屋に貼りました。すると、確かに、意欲が湧いてくるのを覚えました。永遠の資産の相続は既に約束されています。私たちは、この地上で何をするのか、何をもって主の栄光を現わすべきなのかということを期待されているのではないでしょうか。

2.血によってきよめられる…18節には「初めの契約も血なしに成立したのではありません。」とあります。これは、出エジプト記24章で、モーセが主のみことばを受け、祭壇を築き、全焼のいけにえと和解のいけにえを主にささげ、その血の半分を鉢に入れ、半分を祭壇に注ぎました。そして、契約の書を取って、民に読んで聞かせました。すると民は「主の仰せられたことは、みな行ない、聞き従います。」と答えます。そしてモーセは、その血を取って、民に注ぎかけたのです。そのことが、本日のヘブル9:19~20に引用されています。そして、神のひとり子イエス・キリストが来られ、新しい契約が確立し、今、主にあるすべてのクリスチャンたちは、このイエス様を信じる信仰のゆえに、霊的に主の御血が注がれ、罪の赦しを受けているのです。このことが、クリスチャンの原点であり、ここから始まっていくのです。第一ヨハネ1:7です。「しかし、もし神が光の中におられるように、私たちも光の中を歩んでいるなら、私たちは互いに交わりを保ち、御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます。」

3.一度目と二度目…27節には「そして、人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっているように、」とあります。「一度死ぬこと」は誰もが認めざるを得ない厳粛な事実と言えます。しかし、「死後にさばきを受けること」については、大方の人が否定するでしょう。と言っても、死後のことは誰も知りません。但し、主にあるクリスチャンは、聖書のみことばを信じています。黙示録20:14には「それから、死とハデスとは、火の池に投げ込まれた。これが第二の死である。」とあります。第一の死は肉体の死で、すべての人に及びます。次に第二の死は霊魂の死です。この霊魂の死は、イエス様を信じる者に及ぶことはありません。ヘブル9:28節には「キリストも、多くの人の罪を負うために一度、ご自身をささげられましたが、二度目は、罪を負うためではなく、彼を待ち望んでいる人々の救いのために来られるのです。」とあります。クリスチャンはキリストを信じる信仰によって罪の赦しを受け、死後さばきを受けることがないし、生きていれば、終わりのラッパの響きのうちに、主の再臨があり、雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主とお会いすることを信じているのです。ですから、私たちは、イエス様を信じ、この地上での使命を果たすために目標を持って、主の来臨を待ち望みつつ歩もうではありませんか。

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