●2023年6月4日(日)礼拝メッセージ要旨  

●2023年6月4日(日)礼拝メッセージ要旨  

ヘブル9:1~14からです。ヘブル8~10章は、聖所としての幕屋、祭司、契約などについて記されています。しばらく、同じような内容のことを学びます。本日は「生ける神に仕える者となる」という題で、ポイント3つ上げていきます。

1.初めの契約…1~7節では、聖所と至聖所に置かれている物、また、祭司と大祭司の役割などについて記されています。それらは、本体の影と言えるものです。今、既にイエス・キリストが救いを成就して、この新約時代から見て、それらの「影」がどういった実物の影であるのかを探ってみましょう。聖所には燭台と供えのパンが置かれています。キリストはヨハネ8:12で「わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」と言われました。また、ヨハネ6:51では「わたしは、天から下って来た生けるパンです。だれでもこのパンを食べるなら、永遠に生きます。またわたしが与えようとするパンは、世のいのちのための、わたしの肉です。」と言われています。初めの契約では、聖所では祭司が毎日そこで礼拝していました。今日、クリスチャンは神と人との間に立つ祭司でもあります。イエス様から光を受け、いのちのパンをいただいて日々仕えていくのです。また、至聖所は大祭司が年に一度、自分と民の罪のために動物の血を携えて入るのですが、今は、キリストがただ一度の完全な贖いを成し遂げられ、天の真の聖所で仕えておられます。

2.聖霊が示しておられること…1~7節に記されているものは、10節によると、「新しい秩序の立てられるときまで課せられた、からだに関する規定に過ぎない」と言っています。つまり、新しい秩序が立てられたら無用の長物とも思えます。しかし、キリストはマタイ5:17で「わたしが来たのは律法や預言者を廃棄するためだと思ってはなりません。廃棄するためにではなく、成就するために来たのです。」と言っておられます。すると、旧約の律法はどういう位置付けになるのでしょうか。ガラテヤ3:24には「こうして、律法は私たちをキリストへ導くための私たちの養育係となりました。私たちが信仰によって義と認められるためなのです。」とあり、「私たちをキリストへ導くための養育係」として位置づけるのがよいでしょう。確かに、新約聖書だけでは理解不能なことが多々あります。誰も旧約聖書が不要だと思う人はいないでしょう。却って、旧約聖書があることによって、新約聖書に対する深い理解を得られるのです。

3.生ける神に仕える者となる…11~14節は、イエス・キリストの十字架の奥義が表現されていると言ってもよいのではないでしょうか。キリストは、やぎや雄牛の血によってではなく、ただ一度、ご自分の血によって、永遠の贖いを成し遂げられました。やぎや雄牛の血による贖いでも、きよめの働きをするのであれば、「まして、キリストが傷のないご自身を、とこしえの御霊によって神におささげになったその血は、どんなにか私たちの良心をきよめて死んだ行いから離れさせ、生ける神に仕える者とすることでしょう。(ヘブル9:14)」そこで、私たちは、どうすれば、死んだ行ないから離れて、生ける神に仕える者とされるでしょうか。言うまでもありませんが、イエス・キリストを心から信じ、受け入れて、イエス様の御名を呼び求めることです。Ⅰペテロ4:3には「あなたがたは、異邦人たちがしたいと思っていることを行い、好色、情欲、酔酒、遊興、宴会騒ぎ、忌むべき偶像礼拝などにふけったものですが、それは過ぎ去った時で、もう十分です。」とありますが、本当にそのとおりです。そして、礼拝に加わり、聖書のみことばに親しみ、熱心に祈りをささげ、毎日、主の民として、証しの生活をして、生ける神に仕えていくのです。

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