●2023年2月12日(日)礼拝メッセージ要旨  

第二テモテ2:14~26から「真理のみことば」という題でポイント3つ上げていきます。

1.真理のみことば…15節で、パウロはテモテに対して「あなたは熟練した者、すなわち真理のみことばをまっすぐに解き明かす、恥じることのない働き人として自分を神にささげるよう、務め励みなさい。」と言っています。「真理のみことばをまっすぐに解き明かす」という箇所が大事です。真理とか真実、あるいは事実というのは一つだけです。人間は大昔のことを知ることはできません。ただ、想像することはできます。しかし、まことの神は初めからおられ、昔も今も未来のことさえもご存じで、そのことが聖書に記されています。創世記1:1には「初めに神が天と地を創造した」とあります。正に、聖書は事実起こったことを淡々と伝えています。そして、次にアダムとエバが形造られ、彼らは罪を犯し、全人類に罪が及びます。罪を持っていると神の裁きが待っています。しかし、神は御子イエス・キリストを世に送り、救いの道を開きます。キリストは「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。(ヨハネ14:6)」と言われました。真理のみことばは聖書にあり、聖書はキリストについて書いてあります。パウロは、その真理であるイエス・キリストに出会い、キリストをまっすぐに解き明かす福音の宣教者として用いられました。

2.聖められたもの…ある宗教の方たちは、滝の下に行って、水に打たれる滝行を行ないます。水の勢いで雑念を思う余裕などなく(それに夏でも寒すぎるでしょう)、精神統一に役立つとのことです。もう一つは、私たち人間が潜在的に心の中に持っている負い目と言いましょうか、心の汚れのようなものをきよめようという思惑もあるのではないでしょうか。確かに、お風呂に入れば外側の汚れは取り除くことはできますが、心の汚れは水によって清めることはできません。ヘブル9:22には「それで、律法によれば、すべてのものは血によってきよめられる、と言ってよいでしょう。また、血を注ぎ出すことがなければ、罪の赦しはないのです。」とあります。聖なる神の御子イエス・キリストが、私たちの罪をその身に負ってくださいました。私たちがキリストを信じ受け入れることによって、罪赦され、聖くされるのです。但し、そうかと言って、罪の性質が完全に無くなるわけではありません。この世に生きている限り、十字架を見上げ続けていかねばなりません。聖なる神と御子イエス・キリストを求めることは、きよさを求めることでもあります。昨今「自分に正直に生きよう」などと聞くことがありますが、人間は自分の欲望のまま生きて行けば、却って後悔することになるでしょう。きよい生き方こそ真に生き甲斐のある人生となるのです。

  

3.柔和な心…昨今は、健康寿命などという言葉をよく聞きます。健康ではつらつとした状態を保ちつつ長生きするということです。適度な運動、バランスの取れた食事、睡眠、そして、その人の心の状態も大いに健康に関連してくると思います。笑うことは健康に良いということが医学的にも裏付けられているようです。心の状態を健全に保つためには、基本的に柔和に生きるということではないでしょうか。当教会の礼拝に長く来ておられたWさんは、104才で召天されましたが、キリストを信じ、明るく柔和な方でした。聖路加国際病院の院長をしておられた日野原重明さんは、105才まで長生きされた方ですが、やはり、クリスチャンで、柔和な方でした。日野原さんの転機となったのは、1970年に起こった「よど号ハイジャック事件」だということです。たまたま、日野原さんは、その飛行機に乗っていて、人質となり、北朝鮮に行くところを、韓国の金浦空港で解放されたとのこと。それ以後、日野原さんは自分の生涯を社会貢献のために尽くそうとされたとのことです。主のしもべである私たちも、人と争わず、誰に対しても優しく、柔和な心でキリストを証しし、福音を伝えましょう。            

●2023年2月5日(日)礼拝メッセージ要旨  

第二テモテ2:1~13から、「よみがえったイエス・キリストをいつも思っていなさい」という題で、ポイントを3つ上げていきます。

①キリストの立派な兵士となりなさい…「兵士」というと、ウクライナとロシア間で行なわれている戦争を思います。一刻も早く終戦となることを願います。それと共に、戦争にならないように知恵深い外交手段を講じるべきです。現在、日本は防衛力強化を打ち出していますが、アメリカ一辺倒ではなく、韓国はもちろん、政治体制の異なる中国、北朝鮮、ロシアに対しても、緊張感を和らげるような外交交渉を施すべきです。さて、聖書に戻ります。キリストの兵士は、キリストのために役立つ者であらねばなりません。良い農夫は沢山の作物を収穫します。良い漁夫は沢山の魚を捕らえるでしょう。陸上競技の選手は競技の規定に従って栄冠を目指します。私たちは、キリストの兵士として、まず礼拝を重んじ、聖書をよく読み、よく祈り、そしてキリストのからだなる教会から遣わされて福音を伝えましょう。誰も働くことのできない夜が来る前に(ヨハネ9:4参照)、今のうちに、キリストを証ししましょう。

②よみがえったイエス・キリストをいつも思っていなさい…今から45年ほど前のことです。筆者は母教会で行われた日曜日の夜の集会に参加しました。その日は、確か、スウェーデンから日本に来られて長く伝道しておられた宣教師さんが午前の礼拝に続いてメッセージをされました。その時のメッセージの聖書箇所が、この第二テモテ2:8の「死から復活したイエス・キリストをいつも思っていなさい」というメッセージでした。イエス様は今も生きて働いてくださいます。また、たとい、マイナスと思えるようなことがあっても、復活の主を信じる者にとってはプラスとなるのです。何度も話すことですが、筆者は3.11東日本大震災で、教会と住居を兼ねていた建物を大津波で失いました。当日の11日の夜は、太白区役所にお世話になりました。翌日の12日の夜は、子供らが卒業した小学校の教室で過ごしました。色々な思いが駆け巡り、非常に苦しい気持ちに支配されました。しかし、そのとき、ローマ8:28「すべてのことが益となる」というみことばに大きな力を得ました。その後、実際に、マイナスがプラスとなり、ただ、主の恵みによって今日があります。引き続き、復活の主をいつも見上げて行こうと思っています。

③主は常に真実である…11節には、「もし私たちが、彼とともに死んだのなら、彼とともに生きるようになる。」とあります。つまり、私たちが自分の我欲を捨てて、自分に与えられた使命に生きるなら、キリストは私たちと共に生きて働いてくださるのです。そして、13節には、「私たちは真実でなくても、彼は常に真実である。」とあります。イエス・キリストは、真実な方であり、キリストについて記している聖書も真実な書です。今週2月11日は「建国記念の日」です。当初、この記念日を制定するにあたり、推進派は「建国記念日」としようと考えていました。しかし、反対派の人々は、「それは神話に基づいたものであり、学問的な史実に基づいていない。しかし、建国されているのは事実であるので『建国記念の日』というふうに、『の』が入るなら良い」ということで、決まったとのことです。昭和天皇の末弟・三笠宮殿下は、旧約聖書の研究家で、ヘブル語に通じた方でした。この方は、ある著書によりますと「私は戦時中に敵を知ろうと、キリスト教を調べ、聖書に出会いました。初めは文明を誇る白人がどうしてこのようなものを、と笑いましたが、聖書が歴史的事実だと知ったとき、聖書から離れられなくなりました」と言っておられます。最後に詩篇18:30~32です。「神、その道は完全。のみことばは純粋。主はすべて彼に身を避ける者の盾。まことに、のほかにだれが神であろうか。私たちの神を除いて、だれが岩であろうか。この神こそ、私に力を帯びさせて私の道を完全にされる。」

●2023年1月29日(日)礼拝メッセージ要旨  

本日からテモテ第二の手紙(第二テモテ1:1~18)に入ります。第一の手紙はマケドニヤから書かれていますが、第二の手紙はローマの獄中からであり、パウロの書いた最後の手紙と言われていて、所々に重い内容が見られます。この1章は、内容豊かでポイントが5~6ほど上げられるのですが、ポイント3つで、まとめていきたいと思います。

 

①純粋な信仰 …テモテの純粋な信仰は、祖母ロイスと母ユニケから受け継がれているようです。親から子へ、子から孫へ、というふうにイエス・キリストを信じる純粋な信仰が受け継がれていくとすれば、幸いなことです。さて、純粋な信仰とはどういったものでしょうか。筆者は、立場的に他教派(健全な普通のキリスト教会)の牧師さんたちと会合などで出会う機会があります。そのとき感じることは、どこの教派に属する牧師さんであろうが、皆さん、自分の所属する教派に誇りを持っていて、「自分たちが最も純粋な信仰を持っている」と、口にこそ出して言うことはありませんが、そのように感じる空気感はあります。それはそれで、理解できることであると言えますが、あえて、「純粋な信仰の基準」を設けるとすれば、それは「聖書のことばを神のことばとして位置付けているかどうか」ということではないでしょうか。第二テモテ3:16には「聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。」とあり、やはり、聖書のことばを神のことばと受け入れることから、純粋な信仰は始まり、そこが土台となっていくのです。

②力と愛と慎みとの霊 …パウロはテモテに、かつて按手して与えられた聖霊の賜物を再び燃え立たせるようにと勧めています。遠く離れていても、パウロは祈りの中でテモテの心の内を感知していたのでしょう。そして、7節で「神が私たちに与えてくださったものは、おくびょうの霊ではなく、力と愛と慎みとの霊です。」と言い、8節では、「ですから、あなたは、私たちの主をあかしすることや、私が主の囚人であることを恥じてはいけません。むしろ、神の力によって、福音のために私と苦しみをともにしてください。」と言っています。この章の15節では、フゲロとヘルモゲネという人たちが、パウロから離れていったことが記されています。しかし、その一方で、オネシポロの家族はパウロを捜し出して会いにきたのです。人を恐れるのではなく、神を恐れ、神の力によって行動しましょう。先日1月25日は、この地域にも寒波が押し寄せ、雪が降りました。マイナス6~7度くらいでした。雪の多い他地域に比べればわずかですが、それでも天候をも支配している真の神の偉大な力を覚える時となりました。私たちは、その神から、それぞれの使命に生きるための力をいただき、神の愛と謙遜を併せ持ちながら、主を証しさせていただきましょう。

 

③確信している…パウロは、「イエス・キリストの救いを受けるということは、永遠の昔からご計画されている(9節参照)」ということを言っています。そしてパウロは、その救いの福音の宣教者、使徒、教師として神に立てられたのです。そして、12節で「そのために、私はこのような苦しみにも会っています。しかし、私はそれを恥とは思っていません。というのは、私は、自分の信じて来た方をよく知っており、また、その方は私のお任せしたものを、かの日のために守ってくださることができると確信しているからです。」と言っています。「私のお任せしたもの」とは何でしょう。それは、最後の最後まで信仰を守り抜き、永遠の天の御国に凱旋するということではないかと思います。そのことをパウロは、イエス・キリストのゆえに確信していたのです。

●2023年1月22日(日)礼拝メッセージ要旨  

第一テモテ6:11~21から、「神の人よ」という題でポイントを3つ上げていきます。

「神の人よ」…11節で、神の人は「正しさ、敬虔、信仰、愛、忍耐、柔和」を熱心に求めなさい、と言っています。この世は進化論を前提とした世界観が幅をきかせていて、何でも競争し、勝ち残った者を称賛するという傾向があります。同じ仙台市内で、創造論伝道師として用いられているT牧師は「共生(きょうせい)こそ創造主のご計画です。創造主の作品には優劣はない。共生するように創造されている」と言っています。他人(ひと)を押しのけ、他人よりも上に立ち、利得だけを目的とするような世界観ではなく、人を助け、人と共生していく世界観を教えているのが聖書です。そして12節では「信仰の戦いを勇敢に戦い、永遠のいのちを獲得しなさい」とあります。私たちは、この世に生きている限り、楽なことばかりではありません。ローマ5:4には「忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。」とあります。忍耐しなければならないことがありますが、それは、次の祝福への道となると信じましょう。

「神は祝福に満ちた唯一の主権者」…14節では「私たちの主イエス・キリストの現れの時まで、あなたは命令を守り、傷のない、非難されるところのない者でありなさい。」とあります。キリストの現われの時とは再臨のことです。再臨の前提となるのは、不法の人、滅びの子と言われる人物が現れた後のことになるでしょう。今は、まだその人物は現われていませんが、ウクライナ戦争や異常気象など、世界が混沌としている状況は、その舞台が整いつつあると言えます。実際に不法の人が現われたら、一気に再臨が現実味を帯びてくるでしょう。創世記5章で登場するエノクは、65歳で、メトシェラ(「彼が死ぬとき、それが始まった」の意…メトシェラはノアの大洪水の年に死んだ)が生まれ、その後300年間、神と共に歩み、死を見ることなく生きたままで天に上げられました。私たちもキリストの再臨を待ち望み、エノクのように空中携挙に与る者とされましょう。神は私たちを祝福しようとしておられます。ヘブル11:6には「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。」とあります。神に喜んでいただけるような信仰の人でありたいと思います。

「神に望みを置くように」…世の富や財産を所有しているとすれば、それは無いよりはあるほうが良いと言えますが、無ければ失う心配はありません。必要な時に間に合う程度に持っているのがベストかもしれませんね。17節では、「頼りにならない富に望みを置かないようにしなさい」と言っています。それよりも、全てのものを豊かに与えて楽しませてくださる神に望みを置いて過ごしましょう。そして、18節にありますように、人の益を計り、良い行ないに富み、惜しまずに施し、喜んで分け与える者になりましょう。そして、19節のように、未来に備え、良い基礎を自分自身のために築き上げるようにしましょう。20節では「霊知」ということばが使われていますが、2017年訳では「知識」です。英語の聖書ではknowledgeで、やはり、「知識」の訳で良いと思います。この世の知識において、科学的に証明されているもの、学問的にきちんと裏付けられた知識なら別ですが、そうではない推定や仮説などによる知識を、科学や正当な学問と混同すべきではないでしょう。私たちは、聖書のみことばに、信仰の土台を据えて、そこに立ち続け、何より、神の恵み、キリストの十字架の救いによる恵みから外れることがないようにしましょう。

●2023年1月15日(日)礼拝メッセージ要旨  

第一テモテ6:1~10から、「満ち足りる心を伴う敬虔」という題でポイントを3つ上げていきます。

「奴隷と主人」…創世記39章で、ヨセフは兄たちによって、エジプトに奴隷として売られ、ポティファルという人に仕えることになりました。主がヨセフとともにおられ、ヨセフは何をしても成功し、主人は自分の財産全部をヨセフに管理させるほどになりました。奴隷制度については大いに問題がありますが、今日、クリスチャンがその勤める職場において、上司や経営者などを尊敬し、従順に仕え、その職場に貢献することで、神の栄光が現われます。また、上司が自分と同じクリスチャンの場合は、ますます上司を尊敬し、仕えていくことです。ところで、クリスチャンは従業員の立場のみならず、自ら会社を起こして成功して、不景気と言われるこの世にあって、雇用を促進して、神の栄光を現わす人が現われても良いと思います。

「満ち足りる心を伴う敬虔」…この当時「敬虔を利得の手段」とする人がいたようです。それは、偽教師のような人たちのことです。目的がどこにあるかということが非常に重要なことです。例えば、日本の国会議員さんの歳費と言われるお給金は世界第三位とのことで、しかも新幹線がタダなど大変な優遇を受けています。そうなりますと、国民の年収も世界第三位になってもよさそうですが、ここ数年、こちらのほうの世界ランキングは下がりっぱなしのようです。そうなりますと、国会議員としての役割よりも、頂ける高額なお給金を目当てにする人がいても不思議ではありませんね。聖書に戻ります。6節には「しかし、満ち足りる心を伴う敬虔こそ、大きな利益を受ける道です。」とあります。敬虔、それは信仰的な充足感とか、霊的な満たし、そういったものを目標にした信仰生活こそ、その人を結果的に幸いに導くのです。利得を目的にした信仰生活ではなく、まず、敬虔に生きることを目標とした信仰生活が望まれます。

「衣食があれば満足すべし」…7節には「私たちは何一つこの世に持って来なかったし、また何一つ持って出ることもできません。」とあります。確かに私たちは何も持たずに生まれ、何も持たずに世を去っていきます。ですから、そのあとで、「衣食があれば、それで満足すべきです。」とあります。もちろん、私たちは衣食のみならず、実に沢山の物を所有しているのではないでしょうか。クリスチャンが模範とすべき方であるイエス・キリストは「狐には穴があり、空の鳥には巣があるが、人の子には枕する所もありません。(マタイ8:20)」と言われました。キリストは家畜小屋でお生まれになり、人々の前にお姿を現わされたときは、決まった住居さえありませんでした。それでも、乏しいということはなく、山で群衆が集まったときは、5つのパンと2匹の魚から、5千人の人々を満腹にさせ、余ったパン切れを集めると12のかごがいっぱいになりました。ローマ8:20には「もし子どもであるなら、相続人でもあります。私たちがキリストと、栄光をともに受けるために苦難をともにしているなら、私たちは神の相続人であり、キリストとの共同相続人であります。」とあります。主にあるクリスチャンは、当時のキリストと同じように天からこの世に遣わされているのです。天の御国は莫大な富で満ち溢れている場所です。この世の滅びて行く富に執着すべきではありません。マルコ10:29~30でキリストは「まことに、あなたがたに告げます。わたしのために、また福音のために、家、兄弟、姉妹、母、父、子、畑を捨てた者で、その百倍を受けない者はありません。今のこの時代には、家、兄弟、姉妹、母、子、畑を迫害の中で受け、後の世では永遠のいのちを受けます。」と言われました。キリストのために、福音のために捧げた者には、後の世で永遠のいのちを受けるに止まらず、この世において百倍の報いを受けるのです。もちろん、第二のポイントで学んだように、この世の報いである利得を目的にしたら、本末転倒です。まず、敬虔を求めるのです。

●2023年1月8日(日)礼拝メッセージ要旨 

2022年12月18日はプレ・クリスマス礼拝、12月25日はクリスマス礼拝、先週2023年1月1日は元旦礼拝で、しばらくテモテ書から離れていましたが、本日は第一テモテ5:1~25から、「人との接し方など」という題でポイントを4つ上げていきます。

①「老人に対して」…日本には「敬老の日」があります。今年は9月18日(月)で土日と連休になっています。海外では、例えばアメリカでは「老人の日」はありますが、休日にはなっていないようです。韓国では元々、年長者を敬う慣習が確立していて、わざわざ「敬老の日」を設けることに意味がないようです。第一テモテ5:1では「年寄りを叱るな。父親に対するようにしなさい。」となっています。レビ記19:32では「あなたは白髪の老人の前では起立し、老人を敬い、またあなたの神を恐れなければならない。わたしは【主】である。」とあります。しかし、一方でヨブ記32:9には「年長者が知恵深いわけではない。老人が道理をわきまえるわけでもない。」とあります。テトス2:2には「老人たちには、自制し、謹厳で、慎み深くし、信仰と愛と忍耐とにおいて健全であるように。」とあります。年を取っても、人の意見に耳を傾け、柔軟性豊かで、それでいて謹厳で慎み深く、キリストの香りを放つ老人であることが望ましいでしょう。

②「やもめについて」…やもめについては、3~16節まで長い節を使って言及しています。弱い立場にあり、同情すべきですが、教会の一員として、「たとい、やもめであっても正しい生活をしなさい」ということです。自堕落な生活をすることなく、子どもを育て、すべての良いわざに務め励むように勧めています。8節には「家族を顧みない者は信仰を捨てている」とあります。これは、やもめだけではなく、キリスト者は、信仰のゆえに家族を犠牲にするなどということはすべきではなく、却って家族を愛し、家庭を大切にしなければなりません。

③「長老について」…17節には「よく指導の任に当たっている長老は、二重に尊敬を受けるにふさわしいとしなさい。」とあります。この場合の長老とは今日の牧師のような立場の人です。確かに、みことばを取り次ぐ指導者に対しては、敬意を持つことは良いことでしょうが、そうかと言って、指導者の側も何か自分を偉い者であるかのような錯覚をしてはなりません。自己鍛錬を怠らず、ただ、神と人とに仕える者であることを忘れてはなりません。

④「その他」…■教会は、天上の永遠の希望について語られる場所ですが、今はこの地上に置かれていて、この世にあって社会の一員です。当然、社会性も備えて、健全に社会と共存していかねばなりません。■22節には按手のことが書いてあります。軽々しく按手をしてはいけない。その人物を見極めて、慎重にということでしょう。■23節では、「少量のぶどう酒を用いなさい」とあります。胃のために用いるということです。箴言20:1では「ぶどう酒は、あざける者。強い酒は、騒ぐ者。これに惑わされる者は、みな知恵がない。」とあります。少量を薬として用いるのが望ましいでしょう。■最後です。善であれ、悪であれ、今は隠れていても、やがて明らかにされる時が来ます。自分の名声や我欲のために強い者におもねり、弱者をないがしろにしているなら、やがて、その報いを受けることになるでしょう。ピリピ2:3~5には「何事でも自己中心や虚栄からすることなく、へりくだって、互いに人を自分よりもすぐれた者と思いなさい。自分のことだけではなく、他の人のことも顧みなさい。あなたがたの間では、そのような心構えでいなさい。それはキリスト・イエスのうちにも見られるものです。」とあります。聖なる神を恐れ、キリストを模範として、天に宝を積む歩み方を求めてまいりましょう。

●2023年1月1日(日)礼拝メッセージ要旨  

2023年になりました。ヨシュア記1:1~9を中心にして「2023年を迎えて」という題で、ポイント3つ上げていきます。

①「だまされないように」…昨年末、岸田首相は、防衛力の増強を目指し、その財源として増税を目論んでいるとのニュースを聞きました。ある情報によりますと、アメリカから武器(戦闘機など)を購入する際、殆ど交渉などすることなく、アメリカの言い値で非常に高い値段で購入するようです。しかも、その兵器はアメリカで不要となったタイプのもののようです。もっと、したたかな外交・交渉が求められるべきでしょう。岸田首相の支持率は下がりっぱなしです。聖書には、「すべの人のために、また王とすべての高い地位にある人たちのために願い、祈り、とりなし、感謝がささげられるようにしなさい。(第一テモテ2:1)」とあります。クリスチャンは、政治家の方たちのために祈らねばなりません。私たちは今、情報の洪水のような中で暮らしています。テレビで伝えられている情報は信用してしまいがちですが、大手メディアの背後にはスポンサー企業などの力が働いていますから、どうしても真実よりも利益が優先されることになります。ですから、私たちは、テレビなどで発信される情報をただ鵜呑みにすべきではありません。聖書には「蛇のようにさとく鳩のように素直でありなさい(マタイ10:16b)」とあります。まず聖書のみことばを土台とし、その情報が真実であるか否か、よくよく注意して、見極めなければなりません。

②「恐れるな」…ヨシュア1:1~9です。ヨシュアは、イスラエルのリーダーだったモーセの後継者として、ヨルダン川を渡り、カナンの地を獲得するために神に立てられました。神はヨシュアに「強くあれ、雄々しくあれ、恐れてはならない、おののいてはならない。(ヨシュア1:9)」と言っておられます。このヨシュアとは違いますが、今、この時代を生きる私たちには、毎年毎年この先、何が起こるのか分からないという不安があるのではないでしょうか。2014年の元旦礼拝のとき、私はヨハネ9:4の「わたしたちは、わたしを遣わした方のわざを、昼の間に行わなければなりません。だれも働くことのできない夜が来ます。」という箇所からメッセージしました。それは「先のことを『ああだこうだ』と先回りして心配するのではなく、むしろ、今与えられている環境を感謝し、心配事は神に委ねて、それぞれに与えられている使命を果たしていきましょう。」というものです。イザヤ41:10には「恐れるな。わたしはあなたとともにいる。たじろぐな。わたしがあなたの神だから。わたしはあなたを強め、あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る。」とあります。イエス様を信じた私たちは、主がいつも共におられるのですから、何も恐れることはありません。

③「福音のために」…当・つばめさわ教会は、現在、グレース宣教会の協力教会です。ふた月に一度、グレースシャロームという読み物に教会の報告記事を提供しています。グレース宣教会から今年の通年賛美が5曲ほど送られてきて、「福音の恵み」という曲の楽譜がありました。第一コリント9:23から作られた曲です。その歌詞は「私は、全てのことを福音のためにしているだろうか。私の口の言葉と心の思い、きよめてください。あなたの十字架の贖いを、あなたの変わらない憐みを私たちが知ることができるように。あなたの御霊の宮として、あなたの恵みの管として、共に福音の恵みにあずかる者として。」です。「福音」、それはこの上ない、最高で最大の良い知らせです。これを私たちは、自分だけのものとして満足していて良いはずがありません。それぞれに与えられた賜物を用い合って、チームとして、福音のために神に仕え、天に宝を積みましょう。

●2022年12月25日(日)礼拝メッセジ要旨  

本日はクリスマス礼拝です。クリスマスに因み、ヨハネ1:1~12から、「すべての人を照らすまことの光」という題でお話しします。

今年は、ロシアがウクライナに侵攻し、今もその戦いが終わっていません。そういった暗いニュースがある中、先日はカタールにおいてのワールドカップが行われました。日本チームはグループリーグで強豪チームを破り、決勝トーナメントに駒を進め、よくやったと思います。結果はアルゼンチンが優勝し、アルゼンチンの国では人々が大喜びです。高校野球・夏の甲子園は仙台育英高校が日本一になりました。念願だった白河の関越えが叶い、宮城県民のみならず、東北全体の喜びとなりました。でも、よく考えてみましょう。ワールドカップでアルゼンチンが優勝しても、野球で仙台育英高校が優勝しても、私たちの生活とはあまり関係ありません。

私たちは人との関係の中で毎日暮らしています。身近な家族は大切です。身近な人ほど尊敬し、良い関係を築いていきたいものです。でも、知ってください。家族よりももっと大切な関係を築かなければならない方がおられます。それは、この世界を創造し、それらを統べ治めておられる真の神様です。地球と太陽の距離は14,960万キロメートルあります。その距離が5%近くなると、地球は干上がってしまい、1%遠いと地球は凍ってしまいます。また、地球は太陽に対して公転しているのですが、23.4°という傾きを保っています。その絶妙な傾きによって、地球には四季があり、大気の循環があって守られているのです。そして、その地球上に私たち人間が創造され、私たちは、その創造主である真の神様によって生かされているのです。

今から2022年ほど前、創造主である真の神様は、ひとり子イエス・キリストを世に送ってくださいました。イエス・キリストは、すべての人を照らすまことの光として、この世に来てくださいました。人間の心の中には闇があります。虚無感(空しさ)、孤独(寂しい)、罪責感(過去の失敗)、死の恐怖などです。イエス・キリストは私たち人間の罪をその身に負い、心の中にある闇を取り除くために十字架で死なれ、死後三日目に復活しました。

ヨハネ1:10には「この方はもとから世におられ、世はこの方によって造られたのに、世はこの方を知らなかった。」とあります。多くの人々は、自分の創造主、そして、救い主イエス・キリストを知らずに、というよりも聞いてはいても無視して生きているのではないでしょうか。せっかくの神の愛をないがしろにしていて、その人は神の裁きを免れることができるでしょうか。

ヨハネ1:12です。こう書いてあります。「しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。」です。私たちは、イエス・キリストを信じ、神の子どもとしての特権を得ようではありませんか。神の子どもは、罪が赦され、心の闇も取り除かれ、天のいのちの書に名が記され、永遠の命を持っています。そして、祈りがきかれることです。エレミヤ33:3には「わたしを呼べ。そうすれば、わたしは、あなたに答え、あなたの知らない、理解を越えた大いなる事を、あなたに告げよう。」とあります。主は、私たちの思いを超えて豊かに応えてくださいます。

クリスマス。それは、天の神様が私たちを神の民として招き入れるために御子イエス様を世に遣わされたということを記念し、感謝して喜ぶ日です。私たちは、神様のみこころを受けとめ、イエス様を信じ、従っていきましょう。

●2022年12月18日(日)礼拝メッセージ要旨  

 来週12月25日はクリスマス礼拝です。本日はプレクリスマス礼拝と位置付け、クリスマスに因んだ個所から、「神は私たちとともにおられる」という題で、ポイントを3つ上げていきます。

1.ヨセフは正しい人であって…イエス・キリストの降誕について、マタイの福音書はヨセフに焦点を当てていて、ヨセフの系図が最初に出てきます。ルカの福音書はマリヤに焦点が当てられ、ヨセフの義父、つまり、マリヤの父親からさかのぼって、最初の人アダムまでの系図がルカ3章に出てきます。さて、乙女マリヤがヨセフと婚約中に、聖霊によって身重になります。ヨセフにそういったことが分かるはずもありません。彼は正しい人で、マリヤを晒し者にすまいと内密に去らせようとしました。こういった判断ができるヨセフは、やはり、神に選ばれた人と言えます。もちろん、ヨセフも完全な人ではありません。創世記6:9には「これはノアの歴史である。ノアは、正しい人であって、その時代にあっても、全き人であった。ノアは神とともに歩んだ。」とあります。ノアも正しい人でしたが、箱舟がアララテ山に漂着し、船から出て最初にしたことは、主の前に祭壇を築き、全焼のいけにえをささげています。やはり、全能の神を恐れ、神の前に自らの罪の贖いを求めたのでした。

2.救い主→インマヌエル…マリヤが身重になったことで、ヨセフはどれだけ動揺したでしょうか。そんなとき、主の使いが夢でヨセフに現われました。ヨセフは主の使いから驚くべきことを聞きます。それは、マリヤが身重になっているのは、聖霊によるのであり、生まれる子は救い主であるということです。そして、その子はインマヌエルと呼ばれるのです。マタイ1:23はイザヤ7:14からの引用です。「見よ、処女がみごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」(訳すと、神は私たちとともにおられる、という意味である。)」とあります。イエス・キリストの救いは十字架と復活によるものです。一人の人が、その救いを信じ受け入れると、インマヌエルと呼ばれる聖霊がその人の心に宿るのです。全知全能で唯一の真の神を信じる者は、他人と自分を比較して妬んだり悩んだりすることを止めます。自分自身は創造主によって創造された唯一無二の存在であり、世界でたった一人の貴重な存在であることを疑いません。そして、それに加え、インマヌエル、イエス様によって与えられる聖霊様が共にいて、その人を助け、導き、揺るぎない自信をもたらしてくれるのです。

3.命じられたとおりにして…ヨセフが正しい人で、神に選ばれた人であることは間違いありませんが、ヨセフがもっと素晴らしいのは、主の使いから聞いた伝言を信じて、それに従ったことです。ローマ10:17には「そのように、信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによるのです。」とあります。私たちは、まず、聖書のことばを聞くことです。全ては、そこから始まります。でも、いつまでも聞くだけで満足していてはなりません。みことばを聞いたら、信じて従いましょう。来週のクリスマス礼拝ではバプテスマ式を予定しています。バプテスマは、神と人との前で、救い主イエス・キリストを信じて従うことを公に表明することです。これは、大きな従順への決断であり、祝福でもあります。北アメリカのロッキー山脈の頂上に降り注ぐ雨は、ほんのわずか、東にそれるか、西にそれるかで、一方は大西洋に流れ、もう一方は太平洋に流れ込むのです。それ以上に、救い主イエス・キリストを信じて従う道と、従わない道とでは、永遠の祝福か、または永遠の滅びか、この世においてもそれは始まって行き、後々、あまりに大きな違いがあるのです。

●2022年12月11日(日)礼拝メッセジ要旨  

 第1テモテ4:1~16からです。「敬虔のための鍛練」という題で、ポイントを3つ上げていきます。

1.神のことばと祈りとによって…イエス・キリストの福音がエルサレムから始まって、今日、世界中に宣べ伝えられています。この手紙が書かれた当時は福音宣教の開始から、まだ数十年しか経過していません。しかし、それでも、最初の純粋な福音を歪めようとする人たちもいました。具体的には3節にあるように「結婚を禁じたり、食物を断つことを命じたり」することです。そういったことは、他人に強要することではありません。食物に関することですが、近頃は、人工的に作られたものより、自然に存在する植物などの食べ物が良いとされます。それは元々、神様が私たち人間のために造ってくださったものだからです。もちろん、植物の中には人間の毒になるものがあって、注意が必要です。但し、毒草でも、医薬品などに用いられるものもあります。そうかと言って、素人が浅い知識で扱うべきではありません。私たちは天の神様が与えてくださったものを感謝していただくのです。でも、時に、体に芳しくないものを摂取することがあるかもしれません。その時、クリスチャンには神のことばと祈りがあります。

2.敬虔のために自分を鍛練…最近は、「ただ長生きをすれば良いというのではなく、健康寿命を延ばす」ということが言われています。質の良い食事、睡眠、適度な運動が良いとされています。特に、エクササイズで体を伸ばしたり力をかけたりゆるめたりが効果的なようです。そういった肉体の鍛練も大事ですが、もっと良いのは敬虔のための鍛練(エクササイズ)です。「誰それは、敬虔なクリスチャンです」などと言うのを聞くことがあります。敬虔なクリスチャンでありたいものですが、焦ることはありません。一歩一歩、前に向かっていけばよいのです。ヘブル5:7には「キリストは、人としてこの世におられたとき、自分を死から救うことのできる方に向かって、大きな叫び声と涙とをもって祈りと願いをささげ、そしてその敬虔のゆえに聞き入れられました。」とあります。イエス・キリストは、十字架のために捕らえられる前に祈られました。それは、十字架に向かって行くことから来る苦しみ、それを回避するに余りある力を持っておられるけれども、それをすればご自分の使命を果たすことはできません。その葛藤からでしょうか?大きな叫びと涙の祈りをされたのです。そんなキリストと比べることは到底出来ませんが、私たちにも時折、生きて行く上で様々な葛藤があるのではないでしょうか。私たちも切に祈り求め、主のみ旨の道を一歩一歩、前に進んで行きましょう。

3.信者の模範になりなさい…パウロはテモテに、「年が若いからといって軽く見られないようにしなさい。言葉、態度、愛、信仰、純潔においても信者の模範になりなさい」と、言っています。特に、私たちが語る言葉、そして純潔であるということは大切です。総合的には、当教会で提唱しているWWPPを心掛けることです。Worship(礼拝)、Word(、みことば)、Pray(祈る)、Preach(宣教する)です。最近YouTubeで、91歳の介護士の女性のことを知りました。元々、彼女は看護師で、老人福祉施設の施設長をしていたとのこと。施設長を辞任したあと、介護士の一人として、その施設で今も現役で働いているとのことです。彼女の主な仕事は、施設の老人たちに声を掛けることです。ただ声掛けだけには終わらず、その老人の背景を聞いたりするそうです。そうすることによって、その老人の問題が解決することがあるようです。クリスチャンに置き換えればPreach(宣教する)です。直接、宣教しなくても、主にあって、人と関わっていくのは良いことです。